Revlon Alumni(レブロンOB会)と60年代~70年代の出来事

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1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

'60s Pops イントロ集


諸般の事情により今は音が出ないようにしています



Diana:129KB1957:Paul Anka

Happy birthday sweet sixteen:86.1KB1958:Neil Sedaka

Route 66:91.5KB1962:George Maharis

Surfin USA:59.2KB1963:Beach Boys

Stop the Music:107KB1963:Lane & Leekings

Rhythm of the rain:91.5KB1963:Cascades

A hard days night:113KB1964:Beatles

Born to be wild:91.5KB1968:Steppenwolf

Spinning Wheel:75.4KB1969:Blood Sweat & Tears

Black Magic Woman:102KB1970:Santana


1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

レコード ジャケット集


1960年代のレコード(45RPM)45回転盤




「アイ・プット・ア・スペル・オンユー」
クリーデンス・C・リバイバル

「ハロー・アイ・ラブ・ユー」
ドアーズ

「ボサノバ・ベイビー」
エルビス・プレスリー

「サマー・イン・ザ・シティ」
ラビン・スプーンフル

「ポエトリー」
ジョニー・ティロットソン

「恋はスバヤク」
ガス・バッカス

「グリーン・フィールズ」
ブラザーズ・フォア

「アンタッチャブル」
ネルソン・リドル

「GTOでぶっ飛ばせ」
ロニーとデイトナス

「上を向いて歩こう」
坂本 九

「ゴールデン・イヤリング」
サウンズ

「ガンファイター」
マイク・クリフォード

「アルディラ」
エミリオ・ペリコリ

「セントルイス・ブルース・マーチ」
ユニバーサル・Int'l楽団

「リバティバランスを射った男」
フェアマウント・シンガーズ

「ウーマン」
ゾンビーズ

「夢みるビートルズ」
ドナ・リン

「ライフルと愛馬」
ディーン・マーチン

「悲しき北風」
カスケーズ

「サンシャイン・ラブ」
クリーム

「マイ・フェアレディ」
オードリー・ヘップバーン

「ターン・ターン・ターン」
バーズ

「ホールドオン」
サムとデイブ

「スピニング・ホイール」
ブラッド・スエット・&ティアーズ

「うわさの男」
ニルソン

「花咲く街角」
坂本九

「ノック・ミー・アウト」
ベンチャーズ

「クワイ河マーチ」
ミッチ・ミラー合唱団

「夢のオレンジ号」
スプートニクス

「オール・アバウト・シャドウズ」
シャドウズ

「ビーチボーイズ」
ビーチボーイズ

「アンチェインド・メロディ」
ライチャス・ブラザース







1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

'60s アーティスト ライブラリー


1960年代のアーティストが検索できます。


INDEX(アーティストの検索)

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INDEX

アーティスト

当時のポップス・シーン

A ASTRONAUTS デビューは1963年。シングルとアルバムをリリースしたが、わずかにシングルの「Baja-サーフィンNo1」
が90位台にランクされたのみ。しかし日本では「太陽の彼方に」がエレキ&サーフィン ブームに乗って
大ヒット。熱狂的な歓迎の中、来日も果たした。
  ANGELS ロネッツ、クリスタルズ、シャングリラスなどと並んで、1960年代前半のポップ・シーンを飾った人気女性グループ。
  ARCHIES アーチーズが架空のグループだったことは、周知の事実として有名。便宜上5人のメンバーが列挙されて
いたが、もとより実在していない。
  ASSOCIATIONS 調和のとれた美しいヴォーカル・ハーモニーが魅力で、ソフト・ロックのリーダーとして活躍。チェリッシュ、ウインディなど
ヒット。
  ALBERT HAMMNOD イギリスで生まれたが、少年時代の大半をスペイン南部のジブラルタルで過ごした。
  AL HIRT ジャズのメッカ、ニューオーリンズに生まれたが、学生時代はオハイオ州シンシナティで過ごし、音楽学校を卒
業後、ジミー・ドーシーやトミー・ドーシー楽団で腕を磨いた。その後、第二次大戦とともに陸軍に入隊、ヨーロ
ッパに渡り、除隊後も同地でトランペッターとして活動。
  ANN MARGRET 1962年に映画”スイート・フェア”でパット・ブーンの相手役。翌63年には”バイバイ・バーディー”で主演をつと
め、一躍ビッグスターへと成長した。持ち前のルックス、プロポーションの素晴らしさに加え、キュートでセクシーな
歌いかたが人気を呼び、日本でも多くの男性ファンを魅了した。
  ANTHONY PERKINS 父親のオスグッド・パーキンスが俳優だったことから、幼い頃から影響を受け、コロムビア大学を卒業後すぐ
にショー・ビジネス界入りする。
  ANDY WILLIAMS 1956年、ケイデンス・レコードからデビュー。ウオーク・ハンド・イン・ハンド、カナダの夕陽、ハワイアン・ウエディング・ソングな
どのヒットを発表。1961年にコロンビアに移籍、翌年より自分のTVショーで活躍。”彼女は億万長者”など
のドラマにも出演した。
  AUDREY HEPBURN 今や世界中に誰ひとり知らぬ人もなくなったヒット・ミュージカル舞台を、オードリー・ヘップバーンの主演で70ミリ
大画面に再現する話題のワーナー超大作"マイ・フェア・レディ"の主題歌、"踊り
明かそう"を歌う。
B BEATLES 1957年、ジョン・レノンポール・マッカートニーがリヴァプールのフールトン・パリッシュ教会で知り合う。ジョン(当時17
歳)は既に自分のグループ"クオーリーメン"を結成し活動。1960年、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・
ハリスン、スチュワート・サトクリフによるシルバー・ビートルズが6月にジェリーとペースメーカーズとともにイギリスでステージ
デビュー。8月にはピート・ベストをドラマーに迎え、ハンブルグで活動を開始。暮れにはリヴァプールに戻って、
演奏を披露した。'61年3月21日にリヴァプールのキャバーン・クラブに初出演(ドラマーはリンゴ・スター)。8月2日
よりレギュラーとして出演。キャバーン・クラブを訪れたブライアン・エプスタインが彼らに注目し、12月13日にマネー
ジメント契約を結ぶ。トニー・シェルダンと吹き込んだ"マイ・ボニー"は当時は不発。'62年10月にファースト・シンク
゙ル"ラブ・ミー・ドウ"と"PSアイラブ・ユー"を。'63年デビュー・アルバム"プリーズ・プリーズ・ミー"がイギリスで発売さ
れ、30週間にわたってトップを独走した。'64年"抱きしめたい"でアメリカ デビュー。2月から3月にか
け、7週間トップを記録。さらに全米チャート上位5曲を独占。7月、初の主演映画"ビートルズがやって
くるヤア!ヤア!ヤア!が公開。'65年第2弾映画ヘルプ四人はアイドルが公開。'66年10月ジョン・レノン
とオノ・ヨーコが初めてロンドンのインディア・ギャラリーで逢う。6月ビートルズ来日、武道館で計5回のコンサート
を行う。'67年宇宙中継で"愛こそはすべて"を演奏。'69年アップルの屋上で演奏、映像でも紹介
される。'70年ビートルズ解散。"レット・イット・ビー""ロング・アンド・ワインディング・ロード"の2大シングルがヒット。
  BAY CITY ROLLERS スコットランドはエジンバラが生んだ、1970年代を代表するスーパー・アイドル・グループ。親しみやすいルック
スとポップなサウンドで日本でもタータン・ハリケーン・ローラーズ旋風を巻き起こした。
  BLOOD SWEAT AND TEARS シカゴと並んでブラス・ロックの旗頭と騒がれた、大型ロック・ジャズ・バンド。アル・クーパーが創設。"ユーブ・
メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー”"スピニング・ホイール"など。
  BOX TOPS メンフィスのハイスクールに通っていたクラスメイトによって、'60年代半ばに結成された5人組。
  BREWER & SHIPLEY 一時は'70年代の"サイモン&ガーファンクルとして注目を浴びていた男性デュエット・チーム。
  BROTHERS FOUR キングストン・トリオ、ピーター・ポール&マリーと並んで、モダン・フォーク・ブームを作り上げたおなじみのグルー
プ。キャリアは古く、1958年にワシントン大学に通う学生4人で結成された。
  BROWNS アーカンソー州パイン・ブラフの出身。'59年に"谷間に三つの鐘が鳴る"での大ヒットを放った。
  BUCKINGHAMS デビュー当時はU.S.Aというマイナーレベルの所属だったが、"カインド・オブ・ア・ドラッグ"の大ヒットを放った
直後、コロンビアに引抜かれ、ジェイムズ・ガルシオのバックアップで大きく成長、ブラス・ロックのベーシック スタイ
ルを確立した。
  BYRDS ビートルズを筆頭とするリヴァプール・サウンド全盛の折、1965年にウエスト・コーストよりデビュー。いわゆ
るフォーク・ロックの旗頭として活躍、のちのポップシーンにも多大な影響を与えた。ミスター・タンブリンマンで
デビュー。他にターン・ターン・ターンなど。
  BOBBY DARIN イギリス人の母親とイタリア系アメリカ人の父親のもとに生まれた。本名をウオルデン・ロバート・カッソートという。
  BILL HALEY & HIS COMETS ペンシルヴァニア州チェスター出身。プレスリーと並んで、ロックンロール史を飾ったパイオニアとして余りにも有名。
  BOBBY HEBB ミュージシャンだった両親のもと、早くからギターを習い、南部を中心に巡業して歩いた。12歳のとき
にカントリーの殿堂グランド・オール・オープリーに出場したという実績の持ち主である。'66年に"サニー"
の大ヒットで成功を収めた。
  BEN E. KING '58年にクラウンズに加入、その後ドリフターズに生まれ変わった。ソロとして独立したのは、'60年5月。
'61年に入って"スパニッシュ・ハーレム""スタンド・バイ・ミー"などのヒットを飛ばした。
  BOBBY SOLO '60年代半ばに"ほほにかかる涙"でデビュー、あっという間にスターダムにのし上がったシンデレラ・ボーイ。
  BILLY VAUGHN 6歳の時にウクレレを覚えたのがきっかけで、ハイスクールに入る頃には殆どの楽器をこなすまでにな
っていたという。ミュージシャンとして本格的にスタートしたのは第二次大戦が終わってから。
  BOBBY VINTON '60年代前半にデビュー以来、"ブルー・オン・ブルー""ブルー・ヴェルベット""ブルー・ファイア""ブルー・ハート"な
ど一連のブルー・シリーズで素晴らしい人気を集めた。
  BEACH BOYS '62年に"サーフィン"でデビュー。サーフィンUSAなどヒットを放つ。'74年に人気再燃。
  BARRY SADLER.SSgt 60年代半ば、反戦歌が流行の中、彼が歌った悲しき戦場は逆の立場(体制側)からの主張を
テーマにした作品として、大いなる注目を集めた。
  B.J.THOMAS 本名ビリー・ジョー・トーマス。幼い頃より教会の聖歌隊で歌いはじめ、ハイスクールの時代には自分たち
のグループ”トライアンフ”を結成。カントリー&ウエスタンやリズム&ブルースを中心に地元のクラブやパーティで演奏
していた。
C CASCADES "小さな滝"というグループ名が示すように、さわやかで洗練されたハーモニーが、彼らの最大の魅力。
第2弾ヒットとなった"悲しき北風"、ファースト シングルとして発売された"悲しいわけは"なども、"悲
しき雨音"に勝るとも劣らない佳曲だった。
  CHUK BERRY 本名をチャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリーという。ロック史上最も多くのミュージシャンに影響を与えた、
偉大なアーティスト。これまでに発表されたヒット曲は枚挙にいとまがないが、その多くがさまざまな
シンガーやグループによってカバーされている。ジョニー・B・グッド、スイート・リトル・シックスティーン、キャロル、リーリン
&ロッキン、メイベリン、バック・イン・ザ・U.S.A
  CAPRICORN 1969年11月にロンドンで結成された、混声ヴォーカル・トリオ。グループ結成後、しばらくロンドン周辺
のクラブなどで歌っていたが、イギリスBBC放送のプロヂューサーに認められ、レコード界にデビューした。
  CARMEN CAVALLARO 生後すぐにピアノを習い始め、3歳の頃には一通りの曲が弾けるようになっていたという。
  CARPENTERS '73年に人気爆発。シングルのイエスタデイ・ワンスモア、アルバムのナウ・アンド・ゼンなどがヒット。
  CHAMPS '50年代後半から'60年代始めまで活躍した代表的なインスツルメンタル・グループ。出世作となったの
は"テキーラ"
  CHANTAY'S カリフォルニア州サンタ・アナ・カレッジに通う学生5人が、1961年に結成したグループ。校内でのパーティなど
でプレイしたあと、1963年始めに、ローカル・レーベルのダウニーで”パイプライン”をレコーディング。
1965年12月、エレキ・ブームに乗って初の来日を果たしたが、そのときメンバーの半数が退団。
  CHASE ジャズ・トランペッターのビル・チェイスが同じ仲間のジャズメンを集めて結成した。
  CHI-LITES ソウル界の名プロデューサー兼ソング・ライター ユージン・レコードを中心に1960年に結成された。
  CRESTS ニューヨークはブルックリン出身のジョニーとトミー、ステイトン・アイランド出身のハコルドとジェイの4人によって、'50
年代後半に結成された。
  CYRKLE フォークロック・ブームにわいていた'66年春、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインに認められ
てデビュー。
  CLIF RICHARD '58年デビュー。8月に英コロムビアと契約、ムーブ・イットでスターダムにのしあがり、10月にはラジオ初出演、
11月にはアメリカでのデビューも果たした。
  CREEDENSE CLEARWATER RIVIVAL プラウド・メアリーの大ヒットを飛ばし、続いてバッドムーン・ライジング、3枚目にアイ・プット・ア・スペル・オン・ユーを
放つ。この悪魔的サウンドに日本のファンがすっかり魅せられた。
  CREAM メンバーは、ギター・ヴォーカルはエリック・クラプトン、ベース・ギター・ヴォーカルはジャック・ブルース、ドラムスはジンジャ
ー・ベイカーの3人。"サンシャイン・ラブ""スプーンフル"など。
D DEEP PURPLE デビューは1968年。ハード・ロックの代名詞とも、ヘビー・メタルの元祖とも言われている伝説のグループ。
  DAVE BRUBECK 母親がピアノの教師をしていたことから、デイブも2人の兄たちと一緒に幼い頃からピアノを始め、
大学時代にはクラシックとともにジャズの奏方もマスターした。
  DON CORNELL '42年にサミー・ケイ楽団のシンガー兼ギタリストとして迎えられた。途中、海軍に籍を置いていたときも
あったが、'46年に復帰、'49年にソロシンガーとしてコーラル・レコードよりデビューした。
  DAWN その昔ソロ・シンガーとして活躍していたトニー・オーランドがプロデューサーのハンク・メドレスと共同で"恋する
キャンディダ"を録音、'70年夏に発売したところ、これが大ヒット。続く"ノックは3回"が前作を上回る
ヒットとなったことから、このグループの歴史が始まった。
  DIAMONDS カナダ出身のテッド・コワルスキーが、'53年に仲間を誘ってスタートさせたのがグループの始まり。
  DION 父親がエンターテイナーという恵まれた環境に育ち、11歳でポール・ホイットマンのラジオ・ショーに出演、'58
年に他のメンバー3人とベルモルツを結成して、ローリー・レーベルからデビューした。
  DONOVAN 1960年代半ばにデビューし、当初はボブ・ディランの後継者として注目を集めた。いわゆるフォークロッ
ク系のシンガーだが、後にはジェフ・ベックと共演するなど、ロック畑のメイン・フィールドにも進出して話題
を集めた。
  DRIFTERS 初代ドリフターズがデビューしたのは'53年秋のこと。'59年には強力なリード・シンガー、ベン・E・キングが
加入。'61年にルビー・ルイスと交代、第2期黄金時代を築き、'60年代後半まで数多くの名作を残
した。"ラスト・ダンスは私に
""渚のボードウオーク"などがある。
  DEL SHANNON 出世作となった"悲しき街角"以来、日本では"花咲く街角""さらば街角""街角のプレイ・ガール"
など、一連の街角シリーズで人気沸騰。アメリカではビートルズと共演したり、彼らのヒット曲"フロム・ミー・
トウー・ユー"のカバー・バージョンを発表したりした。
  DUSTY SPRINGFIELD 本名をマリー・イソベル・キャサリーン・オブライエンという。小さい頃から兄のトム・スプリングフィールドとともに音楽
に親しみ、女性だけのグループ、ラナ・シスターズを結成。
  DEAN MARTIN '46年にジェリー・ルイスとコンビを組みコメディアンとして劇場やラジオに出演しながらレコードの吹き込みも
始めた。"ヴォラーレ”、”ライフルと愛馬"など。
  DONNA LYNN 1964年前半のビッグ・ニュースはビートルズ旋風が世界中を吹き荒らした事。10歳のときにアメリカ芸能
家協会に登録、13歳で"夢みるビートルズ”を発表。
  DOORS リード・ヴォーカルはジム・モリソン。世界中がサイケデリックの新しい波、ニュー・ロックの出現などといってドアー
ズを始めとする新感覚グループに注目した。"ハロー・アイ・ラブ・ユー""ハートに灯をつけて"など。
  DELFONICS フィリー・ソウルの初期を飾った人気グループ。
  DANNY & JUNIORS '57年に結成、当時は全員が高校生で、ジュパネアーズというグループ名で活動。
E ENNIO MORRICONE 小さい頃からクラシックが好きで、サンタ・チェチリア音楽院で作曲や器学をマスターしたのち、管弦楽奏者
として活動、'50年代半ばより作曲、編曲家として本格的なスタートを切った。荒野の用心棒・荒野
の1ドル銀貨・帰ってきたガンマン・さすらいのガンマンなどをヒットさせた。
  ELVIS PRESLEY 1960年3月23日、アメリカ陸軍を除隊。3月に除隊後初のレコーディング。5月にフランク・シナトラとのTVスヘ
゚シャルが放映。秋に、映画GIブルースの撮影がスタート。'77年8月16日他界。享年42歳。
F FLYING MACHINE フライング・マシーンは別々に活動していた2組のチームが合体してできたイギリスのポップ・グループ。
  FOUNDATIONS '60年代後半から末頃にかけて活躍した、黒人と白人の混成による8人組みのリズム&ブルース系
グループ。
  5TH DIMENSION ユニークなグループ名と見事なヴォーカル・ハーモニーでアメリカはもとより日本でも素晴らしい人気を集めた。
ビートでジャンプ・輝く星座・ウエディングベル・ブルース・ストーン・ソウル・ピクニックなどがヒットした。
  FRANKIE LAINE ミッチ・ミラーのすすめで1951年にコロムビア入り、ジザベル、ローズ・ローズ・アイラブユーなどのヒットを放つ一方、
ハイヌーン、OK牧場の決闘など、西部劇映画のテーマ・ソングでも幅広くファンの人気を集めた。
G GUESS WHO '69年から'70年頃までの活躍はめざましく、"ラーフィン""ンータイム""アメリカン・ウーマン"など大ヒットを連発、
カナダ出身のグループとしては、史上最高ともいえる大活躍ぶりを示した。
  GILIOLA CINQUETTI 法律家だった父親のもと、末っ子として生まれた。家庭が裕福だったこともあって、比較的自由
に育ち、5歳のときから姉のローザ・ビアンカとともに、ピアノを習い始めた。
  GALE GARNETT イギリス人でカーニバルの芸人をしていた父親と、ロシア人の母親の間に生まれた。家庭の生活は貧
しく、また、父親の仕事柄各地を転々とせざるを得なかった。
  GRASS ROOTS デビュー当時はフォークロックの代表グループとして、また'60年代末以降はアメリカン・ポップス ダンヒル・サウンド
の象徴として大活躍した。
  GEORGE MAHARIS 海軍を除隊後、ダンス・バンドの専属歌手として働きながら、演劇学校に通い、オフ・ブロードウエイの
舞台を経てハリウッドに進出する。出世作となった”ルート66"に主人公のバズ役で出演。
  GENE PITNEY 本名ジーン・フランシス・ピットニー。ハイスクール時代にピアノ、ギター、ドラムスなどをマスターするかたわら作曲も
始め、幾つかの出版社に自作の曲を売り込んで回った。2オクターブ半も出るといわれる広い音
域を生かして、"非情の町""リバティ・バランスを射った男"など発表。
  GUS BACKUS アメリカ空軍に入隊後、仲間とデルヴァイ・キングスというクワルテットを結成。その後ドイツに配属され、除
隊後もドイツにとどまる。"恋はスバヤク"など。
H HONEYCOMES キンクス、サーチャーズに次いでパイレコードから送り出されたのが、このハニカムズなる5人組だった。彼ら
の魅力のポイントは何といっても、ドラマーが(当時21歳のチャーミングな)女性だったというところにあ
り、それは'65年の来日ステージでも実際に証明された。
  HEDVA & DAVID 女性のヘドバはイスラエル、男性のダビデはフランスの生まれ。日本では"ナオミの夢"で有名になった。
  HONDELLS 始めはグループの存在はなく、リチャード・バーンズが一人でレコーディング。リトル・ホンダが大ヒットすると同
時に、急遽3人のメンバーが集められた。
J JEFFERSON AIRPLAINE ドアーズ、グレイトフル・デッドなどと並ぶサイケデリック・サウンドの代表的グループとして君臨した。
  JOHNNY CYMBAL ある日、アマチュア・コンテストが開かれるのを知り、ギタリストとして出場するが落選。しかし、たまたま
歌った歌の方が認められ、ハイスクールに通うかたわらMGMで数曲をレコーディング。'62年9月、学校
を卒業すると同時にプロとしてスタート、”ミスター・ベイスマン”の大ヒットを放った。
  JOSE FELICIANO 独特の雰囲気を持つシンガー兼ギタリストとして一世を風靡した、日本でもおなじみのアーティスト。
  JOHNNY HALLYDAY ベルギー人の父親とフランス人の母親の間に生まれた。本名をジャン・フィリップ・スメといい、子どもの
頃から歌と踊りが好きで、15歳のときからギターを持って地元のクラブで歌っていた。
  JOHNNY HORTON 少年の頃の彼は、11歳より始めたというギターを片手に、兄のフランクらと一緒にウエスタン・バンドを結成、
家族らとともに移り住んだカリフォルニア周辺では結構評判を呼んでいたらしい。'60年11月に他界
したためシンガーとしての活躍期間は短かった。
  JIGSAW スカイハイのヒットで有名になった男性4人組。
  JERRY LEE LEWIS '50年代から'60年代にかけて大活躍したロカビリー・シンガーの大御所。ザ・キラーのニックネームを持ち、
ピアノを叩くように弾きながら歌う独特のスタイルは、彼のトレードマークとなっている。
  JOANIE SOMMERS '60年代前半に放った数々のヒット曲とともに、TVシリーズ"サンセット77"の出演者としても人気を呼んだ。
  JOHNNY TILLOTSON 本名をジョニー・コージー・ティロットソンという。そもそもはカントリー&ウエスタン系のシンガーだが、日本ではポッ
プスターのイメージが強く、アメリカとは異なるヒット・パターンで人気を集めた。日本でのデビュー・ヒットとな
った、"キューティ・パイ"や"プリンセス・プリンセス"は日本のみのヒットであり、和製ポップスの代表曲とな
った"涙くんさようなら""バラが咲いた"などは日本のファンのみを対象に作られたヒット曲だった。
  JOHNNY WESTERN TV映画"西部のパラディン"の主題歌"西部のパラディン"を歌う。
  JIMI HENDRIX '66年にエクスペリアンスを結成、10月にロンドンのクラブで初ステージ、12月にはデビュー・シングル、ヘイ・ジ
ョーをリリース。翌年夏にはモンキーズとともに全米ツアーを始める。他に"紫のけむり"など。
  JAY & TECHNIQES '67年夏にアップルパイは恋の味がヒット。
  JOE DOWELL "さらばふるさと"の大ヒット。
K KINKS 独特のキンキー・サウンドでビートルズやストーンズとは一味違う魅力で、ブリティッシュ・ビートのパイオニア的存
在をなした。
  KINGSMEN オレゴン州ポートランド出身のブルー・アイド・ソウル系のグループ。
L LESLEY GORE ジャズのレコードをコレクションしていたアランという従兄弟の影響で、小さい頃から、ジューン・クリスティ、クリ
ス・コナー、アニタ・オデイなどのレコードを聞いて育った。"涙のバースデイパーティ"がヒット
  LED ZEPPELIN '71年に"移民の歌"
  LYNN ANDERSON ’70年にローズガーデンの大ヒット。
  LOUIS ARMSTRONG サッチモの愛称でジャズファンのみならず多くの音楽ファンに親しまれた。'53年と'63年には
来日して名演奏を披露、映画グレンミラー物語や五つの銅貨などにも出演した。
  LEN BARRY '65年にソロシンガーとして再デビュー、ワンツースリーでヒットパレード界に復帰。
  LEFT BANKE '66年にデビューしたニューヨーク出身の5人組み。中心はマイケル・ブラウン。
  LOU CHRISTIE イタリア人の父とポーランド人の母の間に生まれた。魔法が唯一のヒット。
  LEMON PIPERS 一連のブッダサウンドとは多少異なる持ち味で人気を博していた5人組。
  LITTLE RICHARD チャック・ベリー同等、ロックン・ロールを語るとき欠かすことのできない超スーパースター。本名をリチャード・ベ
ニマンという。生家は貧しく、14人兄弟の3番目ということもあって、7歳の頃より街の通りに出て
歌い始めた。
  LOVIN'SPOONFUL 1960年代後半に大活躍したマニア好みのグループ。'65年8月に"魔法を信じるかい"でデビュー。
サマー・イン・ザ・シティは彼らの5枚目のシングル。
M MAMAS & PAPAS 男女各2人のメンバーによるバランスのとれたハーモニーで、フォークロック全盛時代に素晴らしい人気を
集めた。
  MARISOL "マリソルの初恋"で人気を獲得、"情熱の国スペインからやってきた海と太陽のプリンセス"のキャッチフ
レーズのもと来日も果たした。
  MASHMAKHAN '63年にカナダのモントリオールで結成されたファントムというグループが母体となって、のちのマッシュマッカー
ン誕生となった。ヒット曲は"霧の中の二人"
  MITCH MILLER 楽団(合唱団)の指揮者として、またアメリカCBSレコードの文芸部長として多大な貢献を果たして
きた大御所。
  MONKEES ビートルズの対抗馬として送り出され、TVのレギュラー・ショーをもって大活躍。そのキャラクターとヒット曲
の数々で素晴らしい人気を博した。
  MIKE CLIFFORD 映画ガン・ファイターより、主題歌"ガン・ファイター"を歌う。
  MINA 月影のナポリがヒット。'63年にはスキャンダルから人気を落としたが、翌年には挽回。
N NEW CHRISTY MINSTRELS キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール・&マリーらとともに'60年代前半のモダン・フォーク・ブーム
を盛り上げた。ギタリスト7名、バンジョー奏者3名の10人で編成されていた。
  NANCY AMES 祖父がパナマの首相、父親が耳鼻咽喉科の医師という好環境に育った。
  NILSSON 出世作となったのは、'69年の大ヒット"うわさの男"で、映画"真夜中のカウボーイ"に使われると
ともに、グラミー賞の最優秀歌手賞を受賞。
  1910 FRUITSGUM CO. バブルガム・ミュージックのエースとして君臨した人気グループ。グループの名前はリーダーのフランク・ジェッケル
が自宅の屋根裏部屋にかかっていた、古いレコードのポッケトから見つけたガムの包装紙にヒント
を得てつけたものだという。
  NEIL SEDAKA プレスリーやポール・アンカとともに大活躍。幼い頃から非凡な才能を発揮、13歳のときに、すでにい
くつかの曲を作曲していた。小さい悪魔・すてきな16歳・悲しきクラウン・可愛いあの娘などのヒ
ットを発表。
  NARCISO YEPES 4歳のときからクラシック・ギターを習い、後年アンドレス・セゴビア(スペインが生んだ史上最高のギタリスト)の
後継者として注目を集めた。25歳のとき、"禁じられた遊び"の大ヒットで世界的な人気を得た。
O OHIO EXPRESS 1910フルーツ・ガム・カンパニーの弟分的グループとして活躍していた5人組。ヒット曲は"ヤミー・ヤミー・ヤミー"
  OTIS REDDING '63年にソロシンガーとして独立。ドック・オブ・ザ・ベイ、トライ・ア・リトル・テンダネスなど発表、ソウル・ミュージック
界の新しいスーパー・ヒーローとして脚光を浴びた。日本でも'60年代後半のソウル・ミュージック台頭とと
もに人気を呼んだが、そんな折も折、'67年12月10日、飛行機事故で26歳の生涯に別れを告げた
  O'JAYS フィラデルフィア・ソウルの中核として大活躍。
  OCEAN カナダはオンタリオ出身の5人組。サインはピースの大ヒットを放った。
P PLATTERS 黒人のヴォーカル・グループとしては、もっとも高い人気を誇っていた5人組。'55年にオンリー・ユー、'58
年にトワイライト・タイム、'60年に夕陽に赤い帆、など。
  PAUL ANKA カナダが生んだ最初のスーパースターとして余りにも有名。歌手としてはもちろん、作曲家としても
フランク・シナトラの”マイ・ウエイ”、トム・ジョーンズの”シーズ・ア・レディ”、ミッチ・ミラー合唱団の”史上最大の作
戦”などを書いている。
  PAT BOONE 硬派のプレスリーとは対象的に、甘くソフトな歌声とスマートなセンスで女性ファンをしびれさ
せた。ポップ・ヴォーカリストの第一人者。血筋も良く、アメリカ開拓史上にその名を馳せたダ
ニエル・ブーンの子孫にあたる。
  PETULA CLARK イギリスはもとより、アメリカ、ヨーロッパ各国でも大変な人気を集めた国際的スター・シンガー。
  PERCY FAITH 生後まもなくしてピアノを習い始め、わずか11歳でトロント映画館にピアニストとして就職。一晩3ド
ルの報酬で無声映画の伴奏をつとめた。
  PEGGY LEE 本名ノーマ・デロレス・エグストロム。ベニー・グッドマンにスカウトされ、彼の楽団に参加、'44年まで歌ったあ
とソロとして独立した。"ジャニー・ギター”など。
  PEGGY MARCH 本名マーガレット・バタリア。'62年、リトル・ペギー・マーチとしてデビュー、わずか14歳で吹き込んだ"アイ・ウイ
ル・フォロー・ヒム”があっという間に大ヒット、文字どおりのシンデレラ・ガールとして脚光を浴びた。
  PATTI PAGE 本名クララ・アン・ファウラー。'50年に"テネシー・ワルツ”がミリオン・セラー・ヒットになってスターダムにのしあがった。
  PROCOL HARUM 青い影の大ヒットで一世を風靡した6人組み。ロンドン出身で1960年代初期よりパラマウンツという
名のもと、1950年代のアメリカン・ヒッツをコピーしたり、サンディ・ショーのバックをつとめたりしていた。
  PERCY SLEDGE 出世作となった"男が女を愛する時"は、クイン・アイビー自身がプロデュースを担当、彼のアシスタントでエ
ンジニアでもあったマリリン・グリーンがギタリストとして参加、リック・ホールの経営するマッスル・ショールズ・スタジ
オで録音された。
R RAY CHARLES 言わずと知れたリズム&ブルース界の超ビッグスター。本名をレイ・チャールズ・ロビンソンと言う。
  ROY ORBISON 本名をロイ・ケルトン・オービソンと言う。日本でのヒットは少ないが、アメリカやイギリスでの評価はきわめて
高く、アメリカでは2曲(ランニング・スケアード、オー・プリティ・ウーマン)イギリスでも3曲のトップ・ソングを含む30
曲近くのヒットを放っている。'66年には妻クローデットが事故死、'68年には自宅が火事になり2人
の息子を失うという悲劇に見舞われている。
  ROLLING STONES '63年英デッカよりカム・オンでデビュー。
  RONNY & DAYTONAS ロニーをリーダーに、ナッシュビル出身の3人の若者が集まって結成。G.T.O.でふっとばせ、がヒット。
  RIGHTOUS BROTHERS '65年、ブルー・アイド・ソウル台頭。白人アーティストによる黒っぽいフィーリングのヴォーカル・サウンドが人気
を集める。ふられた気持ち、ソウル & インスピレーション、アンチェインド・メロディなど。
S SANTANA 1960年代後半にブルース・バンドとしてスタート、のちラテン・ロックのスタイルを確立し、'69年のウッド
ストック フェスティバルに出演、同時にデビュー アルバム”サンタナ”を大ヒットさせて脚光を浴びた。”ブラ
ック・マジック・ウーマン”は日本でも大ヒットし、来日公演も行われた。
  SAM COOKE '60年春の"ティーンエイジ・ソナタ"を始めとして20曲余りのヒットを発表。
  STEVE LAWRENCE 歌手として活躍する一方、夫人のイーディ・ゴーメとともにテレビ・ショーのホストとして人気を博した。
  SCOTT McKENZIE プロ歌手になる前は、銀行のコンピューター技師をしながら地元のアマチュア・グループでフォークソングを歌
っていた。歌手としては、"花のサンフランシスコ"以外これといった実績はない。
  SAM & DAVE '60年代後半から末にかけてダブル・ダイナマイトのニックネームで、ソウルファンの絶大な支持を集めた。
  SERCHERS シンプルかつストレートなロックン・ロールを基調に、最も早くから活動していたリヴァプール・サウンドの元祖
的グループ。グループ名のサーチャーズは、ジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の映画”捜索者”から
つけられたもので、結成されたのは、1960年のこと。
  SOUNDS フィンランドを本拠地とするヨーロッパのエレキ・インスツルメント・グループで、1960年代前半に人気を集め
た。”さすらいのギター””エマの面影”など、エレガントで美しい旋律をフィーチュアしたサウンドは、スエ
ーデン出身のスプートニクスと同様に日本でも多くのファンに親しまれた。
  STEPPENWOLF カナダのトロント出身のハード・ロック系グループ。'60年代半ばに結成された"スパロウ"というバンドが、
のちにステッペンウルフとなったもので、当時はブルース・ナンバーをメインに活動。'68年ダンヒル・レコー
ドより出した第1弾"オストリッチ"は不発に終わったが、2枚目の"ワイルドで行こう"が
見事大ヒット。
  SURFARIS '62年夏に"ワイプ・アウト”を録音、これが人気インスツルメンタル・グループ、チャレンジャーズのリーダー、
リチャード・デルヴィの知るところとなり、彼の世話で'63年初頭にドット・レコードより全国発売された。
  SYLVIE VARTAN フランス大使館に勤める父親とハンガリー人である母親との間に生まれた。'64年にオリンピア劇
場でビートルズと共演、アメリカのエド・サリバン・ショーにも出演して活躍、まもなく"アイドルを探せ"の
大ヒットを発表する。
  SARAH VAUGHAN ポピュラー、ジャズ・ヴォーカリストのベテランとして余りにも有名。
  SHADOWS '60年に"アパッチ"で全英No1ヒット
  SPOTNICKS 宇宙時代にふさわしい名前とフレッシュなサウンドを持った若きインスツルメンタル・グループ。"夢のオレンシ
゙号""霧のカレリア"など。
T THREE DOG NIGHT 3人のヴォーカリストと4人のバック・ミュージシャンという編成上のユニークさ。シンガー・ソング・ライターたちの埋
もれた作品を次々に大ヒットさせるという選曲の妙味。'60年代末から'70年代半ばにかけて圧
倒的な人気を集めた。
  THREE DEGREES '60年代半ばに結成された、女性ヴォーカル・グループ。荒野のならず者、天使のささやき、など。
  TONY BENNETT プロシンガーになるきっかけとなったのは、入隊後陸軍のバンドで歌い、ニューヨークでボブ・ホープのス
テージショーに出演してから。
  TROY DONAHUE '59年に"避暑地の出来事"で主役に抜擢。他に"恋愛専科""パームスプリングスの週末"など。
また'60年からのTVシリーズ、サーフサイド6やハワイアン・アイなどにも出演。
  TOMMY ROE '60年後半から'70年前半にかけてスイートピーなどのヒット。
  TONY JOE WHITE '60年代末から'70年代始めにかけて人気をあつめたアウワンプ・ロックの第一人者。
  TOKENS '61年春、ライオンは寝ているのミリオン・セラーヒット。
  TRINI LOPEZ メキシコ系の移民である両親のもと、6人兄弟の一人として生まれた。家庭は貧しかったが、若
い頃にダンサー兼シンガーとして働いていたという両親のもと、小さい頃から歌やギターをマスター、
15歳の頃にはダラスのクラブ"シ・パンゴ"に出て、アルバイトとして歌いながら家計を助けた。
V VELVETS 珍しいエピソードを持ったグループ。メンバー3人は同じ年だが、ヴァージル・ジョンソンだけは飛びぬけ
て年齢が高い。それもそのはずで、彼は3人が通うハイスクールの国語教師だったという。
  VENTURES 1959年ドン・ウイルソンとボブ・ボーグルという二人のギタリストによって結成されたギター・デュオだっ
たが、後にノーキー・エドワーズ、メル・テイラーが加わり最強のライン・アップが完成、1965年の来日で
は各地で熱狂的なステージを展開し、日本中にエレキ・ブームを巻き起こした。
  VICKY '67年、ルクセンブルグの代表としてユーロヴィジョン・コンテストに出場、"恋はみずいろ"で4位入賞を
果たした。
  VILLAGE STOMPERS ディキシー・ランド風のスインギーな演奏に、フォーク・ミュージックのフィーリングをミックスさせた、いわゆるフォー
ク・ディキシー・サウンドで話題を集めた。'68年、"ワシントン広場の夜は更けて"で一躍クローズアップされた。
W WALKER BROTHERS 一般にはイギリスのグループとして扱われているが、メンバーの3人はいずれもアメリカの生まれ。グ
ループ結成後、ロスにとどまり、TVのハリウッド・ア・ゴー・ゴーなどに出演したが、不成功。'65年に
イギリスに渡り、人気グループの仲間入りを果たした。
  WILMA GOICH ボビー・ソロ、ジリオラ・チンクエッティらと並んで、'60年代中頃にデビュー。日本でもカンツオーネ・ファンを中
心にかなりの人気を集めた。頭角をあらわしたのは18歳の時で、バランツアで開催されたニ
ュー・ボイス・コンテストで2位に入賞、リコルディ・レコードよりデビューした。
  WILSON PICKETT '65年にダンス天国、ミッドナイト・アワー、ムスタング・サリー、ファンキー・ブロードウエイなどのヒットを放った。
Y YARDBIRDS エリック クラプトン、ジェフ ベック、ジミー ペイジの3大スーパー ギタリストを送り出したことで知られる伝説的な
グループ。'65年に「フォー・ユア・ラブ」のヒット。
  YOUNG RASCALS '60年代後半に、ブルー・アイド・ソウルの代表的グループとして素晴らしい活躍を示した。
Z ZOMBIES のろま、まぬけという意味の名を持つイギリスのセント・アルバンス出身のグループ。「シーズ・ノット・ ゼア”」
「ウーマン」「二人のシーズン」など。




1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

'60 ヒットポップス曲名検索


1960年代のヒットポップスの曲名検索ができます。



'60s ヒット・ポップス

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アラスカ魂(North to Alaska):ジョニー・ホートン

60年秋にリリース、同年暮れにはアメリカでは4位まで上がり、日本でも大ヒットしたが、結局ジョニー・ホートンの遺作となったしまっ
た。マイク・フィリップスのペンによるもので、ジョン・ウエイン主演の同名映画にタイトル・ソングとして使われた。

アイ・ウイル・フォロー・ヒム(I will follow him):リトル・ペギー・マーチ

デル・ローマことポール・モーリアのペンによる原曲をノーマン・ギンベルとアーサー・アルトマンの2人が改作、'63年春に発売され、3週
間にわたって全米ヒット・チャートの1位にランクされた。彼女のほか、ベテランのジョージア・ギブス、ローズマリー・クルーニー、イタリア
のベティ・クルティスといった女性陣、或いはフランク・プウルセル、パーシー・フェイスといったオーケストラなどもレコーディング、のちに
はディスコ系シンガー、クラウディア・バリーによってもシングル発売されている。別名"夢の幌馬車"、"愛のシャリオ"などの邦題でも知
られている。

アル・ディラ(Al Dilla):エミリオ・ペリコーリ'

61年(第11回)サン・レモ・フェスティバルでグランプリを獲得したカンツオーネのヒット曲。翌'62年にトロイ・ドナヒュー、スザンヌ・プレシェ
ット主演の映画"恋愛専科"の中で使われ大ヒット。アメリカでも6位まで上がる好成績を残した。'63年にはコニー・フランシス、'64年に
はレイ・チャールズ・シンガーズでもヒット・チャートに登場している。

あなたの肩に頬うめて(Put Your Head on my Shoulder):ポール・アンカ

のちにレターメン(’68年)、レイフ・ギャレット(’78年)でもリバイバルヒットしたラブバラード。ポール・アンカのシングルは”ロンリー・ボ
ーイ”に続いて’59年夏に発表され、全米ヒットチャートの2位まで上がった。ダイアナと似たようなエピソードを持った曲で、当時恋人だ
った映画俳優のアニット・ファニセロとのロマンスをテーマにしたものだという。

青い影A Whiter Shade of Pale):プロコル・ハルム

’67年夏にイギリスで6週間1位を記録、アメリカでも5位まで上がる大ヒットとなった名曲。バッハのカンタータをベースに、キース・リー
ドとゲイリー・ブルッカーの2人が書いたもので、ほかにもジョニー・リバース、ボビー・ジョンソン&アトムズ、ジョー・コッカーといった人た
ちがとりあげている。イギリスでは’72年にも再発売されリバイバルヒットしている。

哀愁のヨーロッパEuropa):サンタナ

カルロス・サンタナとトム・コスターが共作した日本での2大ヒット曲の1つ。’76年に発表されたアルバム”アミーゴ”の中に収められて
いたもので、アメリカではシングル発売されなかったが、日本では独自にカットされ、、来日記念盤としてリリースされた。むせび泣くよう
なサンタナのギターが印象的で彼らのファンのみならず、多くのファンに親しまれている。

アイム・ア・ビリーバーI'm a beliaver):モンキーズ

”恋の終列車”に続いて2枚目のシングルとして発売された。アメリカでは’66年11月26日のリリースを待たずして、予約だけでおよそ
105万枚のセールスを記録。同年末から’67年2月にかけて実に7週間第一位。イギリスでも4週間トップを続けるなど、世界中で大ヒ
ット、実に1000万枚以上のレコード売り上げを記録した、ニール・ダイアモンドの作品で、彼自身のシングルも’71年に発売されている。

アメリカン・ウーマン(American Woman):ゲス・フー

ノータイムに続いて、’70年春に発表されたナンバーワン・ヒット。(5月に3週間第一位)アメリカン・ウーマンを皮肉った内容の歌だが、
それにもかかわらず大ヒットしたというのだから、何とも面白い。

甘い暴力(Douce Violence):ジョニー・アリディ

ピエール・グリス、エルケ・ソマー主演、ジョニー自身も出演した同名映画の主題歌。ジョルジュ・ガルバランツが作ったもので、'63年に
スマッシュ・ヒットした。

明日なき世界Eve of Destruction):バリー・マクガイア

P・F・スローンがスティーブ・バリと共作、'65年夏に発表された大ヒット。いわゆるプロテストソングの代表曲として、センセーショナルな
話題を集め、ヒットチャートの1位にもなった。歌詞の内容があまりにも過激というので、放送禁止処分になったところもあった。

愛するハーモニーI'd like to teach the world to sing.):ニューシーカーズ

'71年暮れにリリースされ、翌年初めにイギリスでは4週間トップを記録、アメリカでも7位まで上がってミリオン・セラーをマークした。大ヒ
ットした要因の1つに清涼飲料水のコマーシャルソングとしてつかわれたことがあげられよう。

アイドルを探せ(La Plus Belle Pour Aller Danser):シルビー・バルタン

シルビー・バルタンを一躍スターダムに押し上げた'64年のヒット曲。彼女とジョニー・アリディが共演、同年暮れに公開された同名映画
の主題歌で、シャルル・アズナブールとジョルジュ・ガルバランが作詞作曲した。この曲の大ヒットをきっかけにフランス・ギャル、シェイ
ラ、マージョリー・ノエルなどが相次いで登場、第一次フレンチ・ポップス・ブームが巻き起こった。

あなたのとりこ(Irresistiblement):シルビー・バルタン

'68年4月の自動車事故以来、音楽活動を休止していたシルビーがカムバックの第一作として発表したのがこの曲。'70年暮れから'71
年始めにかけて日本でもかなりヒットした。

貴方にひざまづいて(In ginoccio da te):ジャンニ・モランディ

サンライト・ツイストからおよそ3年後、'66年初頭から春頃にかけて日本のヒットチャートを飾った。モランディ自身が主演した同名映画の
主題歌。

あなただけを(Somebody to love):ジェファーソン・エアプレーン

'67年春に発表され、全米チャートのベスト5入りを果たした出世作。グレイス・スリックことダービー・スリックが作詞作曲。当時はサイケ
デリック・サウンドの代表曲として発売され、ドアーズの"ハートに火をつけて"とともに日本でも大ヒット。彼らにとって、この曲が最初で
最後のヒット。

雨のささやき(Rain):ホセ・フェリシアーノ

ホセ・フェリシアーンが当時の夫人ヒルダと共作した'69年のヒット曲。アルバム"10 to 23"に収められていたもので、アメリカではそれ
ほどではなかったが、日本では大ヒットした。

雨にぬれても(Raindrops keep falling on my head):B.J.トーマス

’69年秋に発表され、翌’70年1月に4週間1位を独走したB.J,トーマス最大のヒット曲。バート・バカラックとハル・デビッドのコンビが書
いたもので、映画"明日に向かって撃て"の主題歌に歌われ、アカデミー賞の最優秀音楽賞にも選ばれた。

哀愁のカレリア(Ajomies):フィーネイズ

'65年から'66年にかけてベストセラーとなったヨーロッパ・エレキサウンドの代表的ヒットナンバー。フィーネイズについては当時は正体不
明のグループとして話題を呼んだが、実はボー・ウインバーグ率いるスプートニクスの前身であることが分かった。

アット・ザ・ホップ(At the hop):ダニー&ジュニアーズ

シャ・ナ・ナやニック・トッド、フレディ・クイーンなどの演奏でも知られる、ロックンロールの名曲中の名曲。

(La Pioggia):ジリオラ・チンクエッティ'

69年に大ヒット。同年のサンレモ・フェスティバルでは、彼女とフランス・ギャルの両女性シンガーによって歌われ人気を飾った。

ある愛の詩(Love Story):アンディ・ウイリアムズ

ライアン・オニール、アリー・マックグロウの同名映画の主題曲。フランシス・レイのペンによるもの。

愛情物語(To love again):カーメン・キャバレロ

戦後の名ピアニスト・エディ・デューチンの半生を描いた伝記映画の主題歌。

アイル・ビー・ホーム(I'l be home):パット・ブーン

’56年に”ツッティ・フルッティ”とのカップリングで発売され、両面ヒットとなった彼の出世作。作者はフェルディナンド・ワシントンとスタ
ン・ルイスのコンビ。黒人グループ、フラミンゴスの唄でもヒットした。

アップル・パイは恋の味(Apples,peaches,and pumpkin pie):ジェイとテクニクス

ジェイとテクニクスのデビュー・ヒットで、’67年夏にアメリカで発売されたもの。秋に6位まで上がり、彼らの出世作となった。

あの娘のレター(The Letter):ボックス・トップス

’67年9月から10月にかけて4週間全米ヒットチャートのトップにランクされたボックス・トップスのデビュー・ヒット曲。作者であり自らも
セッションに参加したウエイン・カーソン・トンプソンは父親のアイデアをヒントにしてこの曲を作ったという。

愛しのラナ(Lana):ヴェルヴェッツ

もともとは'61年秋に発売された2曲目のヒット"ラーフ"のB面に収められていたナンバー。日本では'63年にAB面を逆にして発売され、
見事大ヒットした。いわば当時の音楽番組担当者によって作られたヒットで、今なお多くのファンに愛聴されている。

いとしのリンダ(I saw Linda yesterday):ディッキー・リー

ディッキー・リーが"河の娘パッチェス"に続いて、’62年秋に発表した第2弾ヒット。何の変哲もないポップソングだが、実に調子の良い
曲で、熱心なファンには今なおコレクターズ・アイテムの1つになっている。

いとしのルネ(Walk away Renee):レフト・バンク

’66年秋に発表され、全米ヒットチャートのベスト5内にランクされたデビューヒット曲。

 


裏切り者のテーマ(Back Stabbers):オージェイズ

’72年秋に発表され、ヒット。スタイリスティックス、スピナーズなどのヒット曲とともに、フィラデルフィア・サウンド台頭の口火を切った。
翌年のミリオン・ヒット”ラブ・トレイン”も名曲として有名。

ウーマン・ウーマン(Woman,Woman):ゲイrー・パケットとユニオン・ギャップ

彼らのデビューヒットナンバーで、’67年秋に発表され、翌年初めに最高4位まで上がった。イントロのドラムとゲイリー・パケットのパワ
フルなボーカルが印象的だ。

内気なジョニー(Johnny get angry):ジョニー・ソマーズ

’62年に発表され、アメリカでは最高7位まで上がる大ヒットを記録、日本ではシェリー・フェブレーの競作盤とともに人気を呼んだ。

ウインチェスターの鐘(Winchester cathedral):ニューボードビルバンド

’66年秋に発売され、全米ナンバーワンヒットを記録した。メガホンを通したように歌っているのはルビー・バリーというシンガー。

ウイズアウト・ユー


ウイッシン・アンド・ホービン


家へは帰れない


エンド・オブ・ザ・ワールド(The end of the world):スターキー・デイヴィス

シルビア・ディーとアーサー・ケントの2人によって書かれ、'63年始めに発表されたスターキー・デイビス最大のヒット曲。アメリカでは最
高2位を記録、ミリオン・セラーともなった。鼻にかかったような独特の歌声と間奏で聞かれるナレーションが一段とムードを盛り上げてい
る。日本ではブレンダ・リーの歌でも人気を集めた。

エンジン・エンジンNo9


OK牧場の決闘(Gunfight at O.K.corral):フランキー・レイン

バート・ランカスター、カーク・ダグラス主演の同名映画の主題歌。ディミトリー・ティオムキンが作った'57年の作品で、アメリカではヒット
しなかったが、日本では"ハイ・ヌーン"、"真昼の決闘"、"ローハイド"と並ぶ、フランキー・レインの代表曲として多くのファンに親しまれ
た。

おお!キャロル(Oh!Carol):ニール・セダカ

’59年秋にアメリカでリリースされ、初のトップテン入り。9位まで上がった。ここで歌われているキャロルが、のちにあのキャロル・キン
グだったことが分かり、ファンの間で随分話題になった。ヒットはしていないが、キャロル・キングの方も”おお!ニール”というアンサー・
ソングを吹き込んでいる。

男が女を愛する時(when a man loves a woman):パーシー・シレッジ

'66年春にリリースされ、全米ナンバー・ワンにランクされたソウル・バラードの名曲。同年にはエスター・フィリップスのアンサー・ソング"
女が男を愛する時"も発売された。作者は"エスカイアーズ"時代の仲間であるカルヴィン・ルイスとアンドリュー・ライトの2人となってい
るが、実際にはパーシー・スレッジ自身が書いたもの。伝えられるところによれば、彼がスランプの時に助けてくれたのが2人で、そのお
礼として作者の名義を彼らに与えたという。

オー・プリティ・ウーマン(Oh,pretty woman):ロイ・オービソン

'64年秋に発表され、アメリカでは3週間、イギリスでも2週間にわたってナンバー・ワンにランクされた大ヒット。ロイ・オービソン自身とビ
ル・ディーズの共作によるもので、タイトルの"オー・プリティ・ウーマン"は妻のクローデットとビル・ディーズの会話から生まれたものだっ
たという。'82年にはハード・ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンによってもリバイバル・ヒットしている。

オールド・ファッションド・ラブ・ソング(An old fashoned love song):スリー・ドッグ・ナイト

ほかにも"ファミリー・オブ・マン"、"アウト・イン・ザ・カントリー"などを書いているポール・ウイリアムスの作品。'71年秋に発売され、アメ
リカでは最高4位まで上がっている。日本では"喜びの世界"よりこちらの方が大ヒット、'72年2月から3月にかけて数週間1位にランク
された。

オー・ガール(oh,girl):シャイ・ライツ

ムーディーで美しい旋律を持ったソウルバラードの名曲。中心メンバーのユージン・レコードが作詞作曲。

落葉のコンチェルトFor the peace of all mankind):アルバート・ハモンド

’73年に発表されたセカンド・アルバム"フリー・エレクトリック・バンド"からのシングル・カット曲。アメリカではヒットしなかったが、日本
では"カリフォルニアの青い空"以上に幅広くファンに親しまれた。

オール・バイ・マイセルフ(All by myself):エリック・カルメン

エリック自身のペンによる’76年春の大ヒット。アメリカでは3週間2位にランクされ、ソロ独立後の決定打となった。

オーケイ


オール・オブ・ザ・ナイト


カレンダー・ガール(Calendar Girl):ニール・セダカ

アメリカでは60年暮れにリリースされ、最高4位を記録、”星へのきざはし”に次ぐトップ・テン・ヒットとなた。曲、詩との実に楽しい内
容で、まさにニール・セダカの魅力がいっぱいといったところ。

悲しき街角(Runaway):デル・シャノン

デル・シャノンがバック・バンドのメンバーでキーボード奏者だったマックス・クロックと共作したデビュー・ヒット曲。'61年春に発表され、ア
メリカでは4週間、イギリスでも3週間にわたってトップにランクされた。彼はこの曲を'67年にもライブ・スタイルで再レコーディング、一部
ではかなりの人気を集めた。さすがに'60年代を代表する名曲といわれるにふさわしく、これまでも多くの人たちがカバー、ヒット・チャート
にもたびたび登場している。以下、'62年ローレンス・ウエルク楽団、'72年ドーン、'75年チャーリー・クリス、'77年ボニー・レイット、'86年
ルイス・カーディナスといった具合。

悲しき雨音(Rhythm of the rain):カスケイズ

ポップスのニュー・スタンダードともいうべき曲の1つになっている名曲。'63年にカスケイズのセカンド・シングルとして発売され、ベスト・
スリー内に突入、日本では'68年にも再度ヒット・チャートにランクされた。'69年には再録音による"悲しき雨音'69"やゲーリー・ルイスと
プレイボーイズのカバー・バージョンも発表され、リバイバル・ヒットしている。グループのリーダー、ジョン・ガモーの作詞作曲。

風に泣いている(Crying in the wind):ポール・アンカ

RCAビクターに移籍後の作品。アメリカでは陽の目をみなかったが、日本では"太陽の中の恋"や"ラブ"と並んで、ABCパラマウント時
代の作品に匹敵する幅広い人気を集めた。

悲しき慕情(Breaking up is hard to do):ニール・セダカ

’62年夏に全米ヒットチャートのナンバーワンを記録した、ニール・セダカ最大のヒット曲。’76年にもロケットレーベルからニューアレン
ジによる再録音盤が発売され、再び大ヒット。ポップス史上でも珍しいケースとして注目された。日本ではカーペンターズの歌でも親しま
れた。

悲しきインディアン(Running Bear):ジョニー・プレストン

彼のデビューヒットで、’60年はじめに3週間ナンバーワンを記録した。ピック・ボッパーことJPリチャードソンが石鹸のCMにヒントを得て
作ったといわれている。

悲しきあしおと(Footsteps):スティブ・ローレンス

彼の代表曲で、’60年春の大ヒット。名ソングライターとして有名なバリー・マンとハンク・ハンターの二人が作詞作曲。

かなわぬ恋(Never my love):アソシエーション

歌手としても知られるドンとディックのアドリシ兄弟が合作、’67年秋に発表された。

悲しみの兵士(Les Hommes):シルビー・バルタン

戦争で他界した兵士をテーマに、平和への祈りを歌いあげたメッセージソング。’70年夏に発売された。

輝く星座(Aquarius/Let the sunshine in):フィフス・ディメンション

世界的に話題を呼んだラブ・ロック・ミュージカル"ヘアー"の挿入歌として余りにも有名。’67年に作られ、’69年にフィフス・ディメンショ
ンの初の大ヒット曲。6週間トップを独走するとともに、グラミー賞の最優秀レコードにも選ばれた。ミュージカルのテーマ曲であるアクエ
リアスと挿入歌だった"ザ・フレッシュ・フェイリュレス・レット・ザ・サンシャイン・イン"をメドレー化したところがじゅうようなポイントになって
いる。

カインド・オブ・ア・ドラッグ


悲しき戦場


悲しき初恋


カムバック・トー・ミー


カリフォルニアの青い空


かわいいドンナ


君はわが運命(You are my destiny):ポール・アンカ

"ダイアナ"、"アイ・ラブ・ユー・ベイビー"に続くポール・アンカの3枚目のシングル・ヒット。'58年2月に7位まで上がるとともに、日本で
も"ダイアナ"に次いで大ヒットした。バラード・シンガーとしての地位を確立した作品でもあり、ヴィック・ダナものちにシングルを発売している。

霧のサンフランシスコ(I left my heart in San Fransisco):トニー・ベネット

原曲は古く、'54年にダグラス・クロスとジョージ・コリーの2人によって書かれたもの。およそ8年後の'62年に、トニー・ベネットなど数人
によって取り上げられた。アメリカではトニー・ベネットの歌でヒットし、最高19位ながら、合計21週間にわたってチャート・イン。日本で
はブレンダ・リーの歌でも人気を集めた。"思い出のサンフランシスコ"や"我が心のサンフランシスコ"などの邦題でも知られている。

キックス(Kicks):ポール・リビアとレイダース

バリー・マン&シンシア・ウエイルの名コンビが作詞作曲、’66年春に発売され、最高4位を記録した。

霧の中の二人(As the Years go by):マッシュ・マッカーン

メンバーの一人でリーダーのピエール・セネガルが作ったもの。’70年夏にリリースされ、アメリカでは31位までランクアップ。

キサナドウの伝説


君に涙とほほえみを


今日を生きよう


キング・オブ・ザ・ロード


禁じられた恋の島


禁じられた遊び


グリーン・フィールズ(Greenfields):ブラザース・フォア

テリー・ギルキーソンが作った曲で、イージー・ラーダースの盤も'56年に発表されたが、有名になったのはブラザース・フォアのもの。彼
らのデビュー曲として'60年に発売され、同年春に2位まで上がった。'69年にはヴォーグスもリバイバルヒットさせている。

クレイジー・ラブ(Crazy Love):ポール・アンカ

日本におけるポール・アンカの初期3大ヒット曲の1つ。これも自作のナンバーで、’58年春に発売された。全米チャートでの最高位は
19位。バラードながら、後半からエンディングにかけての歌い方がドラマティックで、聴くもののハートをえぐるような感じさえ受ける。

グッド・ゴリー・ミス・モリー(Good Golly Miss Molly):リトル・リチャード

ミッチー・ライダー&デトロイトホイールズが"悪魔とモリー"の中でメドレースタイルで取り上げていた。

グリーン・タンブリン(Green Tambourine):レモン・パイパーズ

ターン・アラウンド・テイク・ア・ルックに続いて発売された、レモン・パイパーズの第2弾シングル。’68年2月に1位を記録。

グリーン・グリーン


グルービン


黒い炎


煙が目にしみる(Smoke gets in your eyes) :プラターズ

そもそもは'33年に、ミュージカル"ロバータ"の主題曲として書かれたもの。ジェローム・カーンとオットー・ハーバックの作詞作曲。プラタ
ーズのレコードは'58年にリリースされ、'59年に全米ナンバー・ワン・ヒットとなった。'72年にブルー・ヘイズというグループでもリバイバル・ヒットしている。

ゲーム・オブ・ラヴ(The game of love):ウエイン・フォンタナとマインドベンダーズ

'65年始めにイギリス、春にアメリカでリリースされた彼らの初ヒット曲。クリント・バラード・ジュニアのペンによるもので、イギリスでは2
位、アメリカでは見事1位に輝いた。いわゆるマンチェスター・ビートと呼ばれた、力強いドラミングとベースをバックに、ウエイン・フォンタ
ナが熱唱、日本でもかなりのヒットとなった。

恋の片道切符(One way tiket to the blues):ニール・セダカ

アメリカでは"おおキャロル"のB面として、日本ではこちらがA面として発売され大ヒット、'59年暮れから'60年始めにかけてヒットパレー
ドのトップにランクされたハンク・ハンターとジャック・ケラーの共作。日本でも多くのシンガーが取り上げ、当時のロカビリー・ブームに拍
車をかけた。

恋の日記(The Diary):ニール・セダカ

ニール・セダカの名を世界に高めた、'58年のデビュー・ヒット・ナンバー。恋する女性の日記に自分の名前が書かれているかどうか、気
をもんでいる少年の気持ちを歌った典型的なロッカ・バラード。アメリカでは最高14位を記録、日本でもベスト・スリーに入るほど人気を
集めた。

このすばらしき世界(What a wonderfull world):ルイ・アームストロング

ジョージ・デビッド・ワイズとジョージ・ダグラスが、'67年に作詞作曲したバラード・ナンバー。当時はそれほど大ヒットしなかったが、一部
ファンからは静かな注目を集めていた。日本ではTVのCMのイメージ・ソングに使われ、レコードも再発売された。アメリカでも映画"グッ
ド・モーニング・ベトナム"の挿入歌として使われ、シングルとしてもリバイバル・ヒットしている。

恋のパームスプリングス(Live young):トロイ・ドナヒュー

トロイ・ドナヒュー自身が主演、コニー・スティーブンス、ステファニー・パワーズが共演した映画"パームスプリングスの週末"のテーマソ
ング。歌手としての彼のデビュー曲でもある。本国ではヒットしなかったが、日本では'63年暮れから'64年にかけて大ヒットした。

恋の特効薬(Love potion number nine):サーチャーズ

イギリスではシングル・カットされなかったが、アメリカでは'64年暮れにリリースされ、ベスト・スリー内にランクされたリバイバル・ヒット。
オリジナルは黒人ヴォーカル・グループ、クローヴァーズが'59年に発表したもので、当時は全米ヒット・チャートの23位まで上がった。
"恋の特効薬"の邦題でおなじみのリズム&ブルースのスタンダード・ナンバーで、'72年にはコースターズの歌でもリバイバル・ヒットし
ているほか、最近ではヘヴィー・メタル・バンドのタイガーズ・オブ・パンタンでもヒット・チャートに登場している。作詞作曲は、ロックン・ロ
ール界最大のプロデューサー・ソングライター・コンビとしてならしたジェリー・レイバー&マイク・ストラーの2人。

恋のウムウム(Um,um,um,um,um,um):メイジャー・ランス

’63年暮れに発表、翌年はじめにヒットチャートのベスト5内に送り込んだ。

今度の土曜に恋人を(Another Saturday night):サム・クック

’63年春に発表され、トップテン入りしたソウルの名曲。サム・クック自身の作詞作曲。

恋の乾草(Build me up buttercup):ファウンデーションズ

’68年暮れに発売され、イギリスで2位、アメリカで3位まで上がった彼ら最大のヒット曲。

孤独の世界(From a distance):P.F.スローン

彼の自作曲で’66年に発表された。アメリカではヒットしなかったが、日本では同年夏にスマッシュ・ヒット。

孤独の太陽(In my room):ウオーカー・ブラザーズ

イギリス、アメリカではヒットしなかったが、日本でのウオーカーズ・ブームを確立したのがこの曲。スコットのミステリアスな感じのボーカ
ルが独特の味わいを出している。

恋は二人のハーモニー(Two divided bylove):グラスルーツ

かれらの後期の作品で、’71年秋にアメリカでリリースされた。全米ヒットチャートでは最高16位を記録。

この胸のときめきを(You don't have to say you love me):ダスティ・スプリングフィールド

原曲はイタリアのピノ・ドナッジオが書いたもの。’66年にビッキー・ウイックマンとサイモン・ベルが英詞をつけ、ダスティによって歌われ
てから、世界的に有名になった。後年プレスリーが歌って大ヒットさせたのは記憶に新しいところ。

恋はみずいろ(L'amour est bleu):ビッキー

ポール・モーリアの大ヒットとして有名だが、日本では彼女の歌でも人気を集めた。正確にはビッキーの歌で紹介されたあと、ポール・モ
ーリア楽団の演奏盤がアメリカでナンバーワンを記録、ビッキーの影が薄くなったといえる。

恋はイエイエ(L'amour est):シルビー・バルタン

イエイエとはゴーゴー(当時流行したダンスリズム)のことを示す言葉。Everything is alrightの英語タイトルでも知られるアップテンポの
ナンバーで、当時はファッションの流行とともに多くの人たちに親しまれた。

コメ・プリマ(Come Prima):トニー・ダララ

トニー・ダララのデビュー曲として’58年に発売されたもの。

恋の終列車(Last Train to Clarkville):モンキーズ

トミーボイス&ボビー・ハートのコンビによって書かれたモンキーズのデビュー曲。’66年8月16日に発売され、11月1週にナンバーワ
ンに輝いた。

恋するキャンディダ


恋にノー・タッチ(Never gonna fall in love again):エリック・カルメン

オール・バイ・マイ・セルフに続いて’76年春に発売されたソロとしての2枚目のシングル。

恋と涙の17才


恋の一番列車


恋のかけひき


恋のダウン・タウン


恋のゆりかご


恋はごきげん


恋はリズムにのせて


荒野のならず者


心の扉をあけよう


ゴッドファーザー愛のテーマ


さすらいのギター(Mandschurian Beat):サウンズ

サウンズが'63年の秋に発表したナンバー。原題は"満州のビート"となっているが、そのメロディラインやビートにはオリエンタルな雰囲
気とともに、北欧フィンランドのエレキ・グループらしい独特のフィーリングが感じられる。'71年にはベンチャーズも吹き込み、日本のみス
ペシャル・シングルとしてリリースされ、リバイバル・ヒットした。

サマー・イン・ザ・シティ(Summer in the city):ラヴィン・スプーンフル

日本でも大ヒットしたラヴィン・スプーンフルの代表作。ジョンの弟マークが作曲した"ヤング・ラヴ・イン・サマータウン"をアレンジしたもの
で、イントロと間奏部にサウンド・エフェクトを駆使した手法もこの曲のヒットに大きなプラスになったといえる。アメリカでは'66年夏にリリ
ースされ、8月に3週間1位をキープ、彼らのシングルとしては初のナンバー・ワンを記録し、ミリオン・セラーともなった。

さらばふるさと(Wooden heart):ジョー・ダウエル

’61年夏に発売され、全米ナンバーワンに輝いた、ジョー・ダウエルのデビュー・ヒット曲。

ザッツ・ザ・ウエイ(That's the way):ハニカムズ

’65年夏にイギリスでの4枚目のシングルとして発売されたナンバー。ハブ・アイ・ザ・ライトと同じく、歯切れの良いサウンドとメロディッ
クが曲調が大きな魅力となっている。

サニー(Sunny):ボビー・ヘブ

ボビ・ヘブ自作のヒット・ナンバー。’63年のケネディ大統領暗殺事件と、その翌日に起きたボビーの兄弟の死を、オーバーラップさせな
がら作ったといわれている。彼はこの曲を3年後にレコーディング、ミリオンセラーとなった。

サンライト・ツイスト(Go kart twist):ジャンニ・モランディ

’63年夏に大ヒットしたスクリーン・ミュージック。エンニオ・モリコーネの作品で、ジャンニ・モランディの日本での初めてのヒット曲。

サイモン・セッズ(Simon Says):1910フルーツガム・カンパニー

’68年はじめに全米ヒットチャートの4位までランクアップ、ミリオン・セラーとなった大ヒット曲。アメリカ版"むすんでひらいて”といったと
ころか。

サインはピース(Put your hand in the hand):オーシャン

アメリカでは’71年春に発売され、最高2位までランクアップ、ミリオンセラーを記録した。

さすらいの口笛


サタデイ・ナイト


サニー・アフタヌーン


ジョニー B・グッド(Johnny B.good):チャック・ベリー

'58年春に発売され全米ヒットチャートの8位まで上がった彼の代表曲の1つ。'64年にはディオン、'70年にはジョニー・ウインターがそろ
ぞれリバイバル・ヒットさせている。チャック・ベリーが音楽的通念としている"Food For Mood"を文字って作られた曲だといわれている。

ジェニ・ジェニ(Jennny,Jenny):リトル・リチャード

"ルシール"と並んで、日本でもっともポピュラーな人気を集めていたナンバー。"ルシール"に続いて発表されたもので、R&Bチャートで
2位、ナショナル・チャートでも10位まで上がった。エノトリス・ジョンソンとリトル・リチャードの共作による曲で、'65年にはミッチ・ライダー
&デトロイト・ホイールズが"ジェニ・ジェニNo2"の中でこの曲の一部をメドレー形式で取り入れている。

シックスティーン・キャンドルズ(16 candles):クレスツ

クレスツの名を一躍有名にした大ヒット。多くの名曲を残しているルーサー・ディクソンがアリソン・ケントと共作したもので、'58年暮れか
ら'59年始めにかけて大ヒット、全米チャートの2位まで上がった。"アメリカン・グラフィティ"を始めオールディーズ関係の映画ではしばし
ば使われ、若いファンの人たちにもすっかりおなじみになっている。

死ぬほど愛して(Sinno me moro):アリダ・ケッリ

ピエトロ・ジェルミ監督、主演、クラウディア・カルディナーレ共演のイタリア映画"刑事"の主題歌。名匠カルロ・ルスティケリが作り、アリ
ダ・ケッリの歌で'60年に発表された。映画の人気もさることながら、音楽の方も大ヒット、各ラジオ・ステーションのチャートも長期間にわ
たってトップを独走した。歌い始めのアモーレ、アモーレ、アモーレ・ミオというフレーズは特に印象的で、当時の流行語にもなった。

史上最大の作戦(The Longest Day):ミッチ・ミラー合唱団

ポール・アンカの作詞作曲。彼自身も出演したジョン・ウエイン主演の同名映画のタイトル・ナンバー。'62年に発売され、アメリカではヒ
ットしなかったが、日本では同年暮れから'63年にかけて大ロングラン・ヒットとなった。作者であるポール・アンカ自身のレコードも出ている。

ジャニー・ギター(Johnny Guitar):ペギー・リー

'54年の映画"大砂塵"(原題はジャニー・ギター)のテーマ・ソングとして使われ大ヒットしたスタンダード・ナンバー。"エデンの東"や"80
日間世界一周"なども書いておなじみの故ヴィクター・ヤングが作曲、ペギー・リー自身が作詞した。ポップス・ファンにはスエーデンのエ
レキ・グループ、スプートニクスの演奏でも親しまれている。

16トン(Sixteens tons):プラターズ

'47年にマーク・トラビスが作った曲で、アメリカではテネシー・アーニー・フォードの盤が'55年に大ヒット、6週間にわたってトップを独走し
た。日本では何といってもプラターズの方が有名で、"オンリー・ユー"とともに素晴らしい人気を集めた。特にポール・ロービのバリトンが
きわだっている。

シュガー・シュガー(Sugar,sugar):アーチーズ

'69年秋に4週間にわたって全米ヒット・チャートのトップにランクされ、年間ランキングでも1位に選ばれたミリオン・セラー・ヒット。イギリ
スでも8週間にわたってトップを独走した。プロデュースも手がけたジェフ・バリーとシンガーでもあるアンディ・キムの2人が共作したもの
で、300万枚以上のセールスをマークしたといわれる。バブルガム調の単純な曲に思えるが、その実、巧みなアイデアやサウンド・アレ
ンジが施された作品で、ヒット・ソングとしてはまさにパーフェクトな出来となっている。これまでに発表されたリメイク盤も多く、'70年には
ウイルソン・ピケットのソウル・ヴォーカルで全米チャートの25位までアップ。イギリスではジョナサン・キングがサッカリンの名で'71年に
シングル発売、12位まで上がった。ほかにもアメリカのディスコ・シンガー、デビッド・ギャムソン、ソウル系ジャズ・ミュージシャンのジミ
ー・マッグリフなどがカバー。ロン・ダンテ自身も再吹き込みによるシングルを"自分の名前"でリリースしている。

シー・オブ・ラブ


ジョアンナ


ジャッキー


白い恋人たち


ジャワの夜は更けて


幸せの黄色いリボン


ジェニファー・ジュニパー


四月の恋


ジュテーム


シルバー・ムーン


真珠貝の唄


人生の道


砂に書いたラヴ・レター(Love letters in the sands):パット・ブーン

パット・ブーンの代名詞ともなっている'57年の大ヒット曲。同年公開された初の主演映画"バーナディーン"の中でも使われ大ヒット、5週
間連続1位にランクされるとともに、ミリオン・セラーを記録した。曲ができたのは古く、'31年にニック&チャールズ・ケニー、フレッド・クー
ツの3人が合作した。かつてはビング・クロスビーなども録音していた曲だが、ドット側の意見で3種類のバージョンがレコーディングされ、
結局は映画の中で使われたものが、シングルとして発売された。

スタンド・バイ・ミー(Stand by me):ベン・E・キング

ベンE・キングがドリフターズ退団後、2枚目のソロ・シングルとして'61年にリリースした曲。ソウル・チャートでは1位、ポップ・チャートで
も4位まで上がった。日本では故ジョン・レノン、アメリカではスパイダー・ターナー、デビッド&ジミー・ラフィン、アール・グラントなどの歌
でも知られている。作者はベンE・キングとジェリー・レイバー、マイク・ストラーの3人。最近も同名映画の主題歌に使われ大ヒット、リバ
イバル・ブームを引き起こすきっかけともなった。

すてきなメモリー(Memories memories):ジョニー・ソマーズ

アメリカではヒットしなかったが、日本では"内気なジョニー"、"ワン・ボーイ"に続いて大ヒット。日本語によるシングルも発売され、'63年
暮れから'64年にかけてヒット・パレードの上位にランクされた。作詞作曲はブルックス・アーサーとアラン・ローバーの2人。軽快なテン
ポとチャーミングな歌声が見事にマッチした。'60年代初期の典型的ヒット・ソングのひとつである。

ストップ・ザ・ミュージック(Stop the music):レーンとリー・キングス

スエーデンの人気グループ、レーンとリー・キングスが放った'63年のヒット曲。クライヴ・ウエストレイクとミルトン・サボスキーが作った曲
で、今ではスタンダードともなっているポppス・ヒットの名曲。ほかにイギリスの男性シンガー、ディック・ジョーダンやヒット・メイカーズに
よっても歌われ、これまでも何度かリバイバル・ヒットしている。同じ曲でもディック・ジョーダンのものはアップ・テンポでストレート、レーン
とリー・キングスとヒット・メイカーズのものはややスロー・テンポと、そのスタイルは異なっている。どちらにしても印象的なモロディを持っ
たナンバーで、今後も末永く愛聴されていくに違いない。

スピニング・ホイール


スカイ・ハイ


すてきなバレリー


スピーディ・ゴンザレス


ソウル・トレインのテーマ


そよ風のバラード


ダイアナ(Diana):ポール・アンカ

ポップスファンにはあまりにも有名だ。ポール・アンカが15才のときに、年上の女性に憧れて作った曲だとされている。アメリカで発売さ
れたのは'57年のことで、同年夏に2位まで上昇。日本でも当時のロカビリー・シンガーたちが好んで取り上げ大流行した。'65年にはボ
ビー・ライデルがバラードにアレンジしてヒットさせている。

太陽はひとりぼっち(L'eclisse):コレット・テンピア楽団

これも同名のイタリア映画主題曲で、'62年秋に発売された。スクリーンの方は"さすらい"と"情事"の2作品で名を売ったミケランジェロ・
アントニオーニ監督、アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティが主演、カンヌ映画祭の審査員特別賞を受賞した。音楽の方はジョバンニ・フスコ
が手がけて、コレット・テンピア楽団の演奏で大ヒットした。

大脱走マーチ(The great escape march):ミッチ・ミラー合唱団

"史上最大の作戦"と並んで'60年初期の日本ポップス界を飾ったミッチ・ミラー合唱団の代表作。これまた映画の主題歌でスティーブ・
マックイーン主演、チャールズ・ブロンソンなども出演いた同名の映画の中で使われた。エルマー・バーンスタインが作曲、アル・スティ
ルマンが作詞したもので、イギリスのシンガー、ジョン・レイトン(映画にも出演)のレコードも発売された。

ターン・ターン・ターン(Turn! turn! turn!):バーズ

"ミスター・タンブリン・マン"と並ぶ大ヒットで、これも'65年暮れに3週間1位にランクされた。フォーク界の巨匠ピート・シーガーが'62年に
作った曲で、バーズは"オール・アイ・リアリー・ウオント・トウ・ドウ"に次いで、3枚目のシングルとして発売した。

太陽を探せ


太陽に歌って


太陽はもう輝かない


太陽の彼方に


太陽の誘惑


ダンス天国


谷間に三つの鐘が鳴る


小さな花


地下室のメロディ


チュウイ・チュウイ


チンチン・ルンバ


ツイストで踊りあかそう


月影のなぎさ


月影のナポリ


テイク・ファイブ(Take five):デイブ・ブルーベック・カルテット

故ポール・デスモンドが作曲、デイブ・ブルーベックにとっては初のシングル・ヒットとなった記念すべきナンバー。アメリカでは'61年秋に
チャート・インし、最高25位を記録、翌年にはカーメン・マックレイのヴォーカル(アイオラ・ブルーベックが作詞)とデイブ・ブルーベックの共
演による歌と演奏でも人気を集めた。5拍子という変則リズムをジャズに持込んだ画期的なアイデアも、この曲の成功に一役買ったといえる。

天使のハンマー(If I had a hammer):トリニ・ロペス

'63年夏に発表され、全米ヒット・チャートのトップ・スリー内にランクされたトリニ・ロペスのデビュー・ヒット。そもそもはフォーク界の大御
所ピート・シーガーがウイーバーズ在籍時代('57年)にリー・ヘイズと共作したもので、ピーター・ポール&マリーの歌で一般に知られるよ
うになった。ほかにも多くのフォーク・シンガーやグループが取り上げているが、トリニ・ロペスほどユニークなアレンジと歌い方で人気を
集めた例はかつてない。

電話でキッス


鉄道員


デイジー


デイ・ドリーム


デイドリーム・ビリーバー


テキーラ


天使のささやき


ドミニク(Dominique):スール・スーリール(シンギング・ナン)

アメリカでは"シンギング・ナン"の名で発表された。'63年暮れに4週間にわたってナンバー・ワンを記録、英語以外で歌われた曲として
は、ドメニコ・モデューニョの"ヴォラーレ"以来の超ビッグ・ヒットとなった。

ドック・オブ・ザ・ベイ(The dock of the bay):オーティス・レディング

オーティスの死後まもなく発表され、全米ヒット・チャートのトップを記録('68年3月から4月にかけて4週間1位)、彼の最大のヒット曲とな
った。日本でも折りからのソウル・ブームに乗って大ヒット、ポップス・ファンの間でも人気を呼んだ。作者はオーティス自身と僚友のステ
ィーブ・クロッパー。のちにキン・カーティスやデルズ、セルジオ・メンディスなどによって取り上げられているほか、オーティスの息子デク
スターが結成したグループ、レディングスによってもリバイバル・ヒットしている。

峠の幌馬車


ドリーム・ラバー


トレイシー


トレイン


夏の日の恋(The theme from "A Snmmer Place"):パーシー・フェイス・オーケストラ

名実ともにパーシー・フェイスの名を決定づけた最高傑作。マックス・スタイナーが作ったもので、映画"避暑地の出来事"(トロイ・ドナヒュ
ー、サンドラ・ディー主演)の主題曲として使われ、'60年に大ヒット。9週間トップを独走するとともに、同年の年間ランキングでも1位に選
ばれた。同年のグラミー賞で、最優秀レコード賞を獲得、のちにディスコ・バージョン・シングルも発売され大ヒット、パシー・フェイスの遺
作ともなった。

浪路はるかに(Sail along silv'ry moon):ビリー・ヴォーン楽団

原曲はハリー・トビアスが作詞、パsー・ウエンリッチが作曲した'37年の作品。当初はビング・クロスビーで紹介されたが、'57年にビリ
ー・ヴォーンのレコードが発売されるや、またたく間に大ヒット。'58年に全米ヒット・チャートのベスト・ファイブ内にランクされ、以後、同楽
団のテーマ・ミュージックとなった。

涙の口づけ(Sealed with a kiss):ブライアン・ハイランド

日本ではレターメンの歌でヒットしたが、オリジナルはこのブライアン・ハイランド盤。"ビキニ・スタイルのお嬢さん"からおよそ2年後、'62
年夏にリリースされ3位までランク・アップした。'68年にはゲーリー・ルイスとプレイボーイズ、'72年にはボビー・ヴィントンによっても取り
上げられ、ともに19位まで上がっている。

渚のボードウオーク(Under the boardwalk):ドリフターズ

ドリフターズのものとしては、比較的後期のヒット曲にあたる。アーサー・レズニックとケニー・ヤングの2人が、'64年に作詞作曲。アメリ
カでは最高4位を記録、日本でも上位に進出した。リード・ヴォーカルはジョニー・ムーアが担当。'78年にはビリー・ジョー・ロイヤル、'82
年にはトム・トム・クラブが取り上げ、それぞれアメリカとイギリスでリバイバル・ヒットさせている。

七つの水仙(Seven daffodils):ブラザース・フォア

アメリカでは注目されなかったが、日本では'64年にヒット・チャートの上位にランクされた。ブラザース・フォアの作品としては比較的後期
のもので、来日コンサートで歌われてから次第に人気を集め始めた。

ナ・ナ・ヘイ・ヘイ・キス・ヒム・グッドバイ


ナオミの夢


嘆きのインディアン


涙のバースデイ・パーティ


涙のムーディ・リバー


24000回のキッス


ノックは3回


のっぽのサリー


遥かなるアラモ(The green leaves of summmer):ブラザース・フォア

ポール・フランシス・ウエブスター、ディミトリー・ティオムキン共作による、ジョン・ウエイン主演の同名映画主題歌。'60年暮れのヒット曲
で、フォークソングの名曲としても知られている。映画の方も、同年のアカデミー賞にノミネートされて評判を呼んだ。

ハロー・ドーリー(Hello Dolly!):ルイ・アームストロング

'64年5月、当時63才だったサッチモが放ったポップ・シーンでの唯一のナンバー・ワン・ヒット。同年2月から5月にかけて"抱きしめた
い"、"シー・ラヴズ・ユー"、"キャント・バイ・ミー・ラヴ"と続いたビートルズの14週連続1位にストップをかけ、大きな話題となった。ジェ
リー・ハーマンの作詞作曲による、同名ミュージカルのタイトル曲で、'69年に映画化される際にはルイ自身も特別出演、バーブラ・ストラ
イザンドと一緒に歌いまくった。

花のサンフランシスコ(San Francisco):スコット・マッケンジー

'67年にママス&パパスのリーダー、ジョン・フィリップスが作詞作曲。折りからのフラワー・ムーブメントに乗って、7月に4位まで上がる
大ヒットとなった。スコット・マッケンジーにとってはもちろん、彼の所属するオード・レーベルにとっても、初のビッグ・ヒットとなった記念す
べきナンバー。

パイプライン(Pipeline):シャンティズ

シャンティズのメンバー、ボブ・スピッカードとブライアン・カルメンが作ったエレキ・インストウルメンタルの代表曲。'63年春に発売され、全
米ヒット・チャートの4位まで上がった。"パイプライン"とは石油の輸送管のこと。日本ではベンチャーズの演奏でも親しまれ、エレキ・ブ
ームの口火を切った。

花咲く街角


ハッシュ


ハブ・アイ・ザ・ライト


バイバイ・バーディ


バイバイ・ベイビー


花咲く丘に涙して


花のささやき


ハロー・リバプール


ピンと針


火の玉ロック


ビートでジャンプ


ビキニ・スタイルのお嬢さん


ブルー・ベルベット


ふたりの太陽


ブラック・マジック・ウーマン


フォー・ユア・ラブ


二人だけのデート


ブラザー・ルイ


プリティ・ブルー・アイズ


ブルー・スエード・シューズ


ふるえて眠れ


ベイビー・フェイス


ペギー・スー


北京の55日


ポエトリー(Poetry in motion):ジョニー・ティロットソン

アメリカと日本で共に大ヒットした数少ない曲の1つ。ポール・カウフマンとマイク・アンソニーのペンによるもので、アメリカでは'60年秋に
リリースされ2位までアップ、イギリスではトップにランクされ25万枚の好セールスをマークした。日本ではアメリカより4年ほど遅れて発
売され、"キューティ・パイ"、"プリンセス・プリンセス"に続いて人気を集めた。

ホールド・オン(Hold on I'm comin'):サム&デイブ

2人のためにたくさんのヒット曲を書いている、アイザック・ヘイズとデビッド・ポーターの作品。'66年暮れにリリースされ、ポップ・チャート
で21位、ソウル・チャートでは堂々1位にランクされた。サム&デイブの出世作であると同時に、スタックス・ヴォルト・レーベルの歴史を
飾った1曲でもある。翌'67年にはチャック・ジャクソン&マキシン・ブラウンのデユエット盤でもチャート・イン、日本のグループ・サウンズ勢
も好んで取り上げた。

ホワッド・アイ・セイ(What'd I say):レイ・チャールズ

レイ・チャールズがアトランティック時代に残した、最も代表的なヒット・ナンバー。'59年に彼自身によって書かれ、ソウル・チャートでは1
位、ポップ・チャートでも6位まで上がった。ソウル界はもとより、ポップ・シーンでも数多くの人たちが取り上げ、'61年にはジェリー・リー・
ルイス、'62年にはボビー・ダーリン、'64年にはエルビス・プレスリー、'72年にはレア・アースで、それぞれリバイバル・ヒットしてい
る。

ほとばしる愛を君に


吼えろ!ドラゴン


ほほにかかる涙


ポーク・サラダ・アニー


僕のマシュマロちゃん


ボサノバでキッス


星を求めて


魔法を信じるかい


魔法


マーシー・マーシー・マーシー


マイホーム・タウン


マイ・ラブ


マスター・ジャック


マック・ザ・ナイフ


ママ・ギター


マリアンヌ


マリソルの初恋


マンデー・マンデー


ミスター・ロンリー(Mr.Lonely):ボビー・ヴィントン

'64年暮れにナンバー・ワンとなった、ボビー・ヴィントンの代表作。彼自身とジーン・アランによって'62年に作られたもので、はじめはア
ルバムの中の1曲にすぎなかったが、2年後にシングル・カットされ陽の目を見た。日本ではレターメンの歌でも親しまれ、今ではスタン
ダード化しつつある。

ミスター・タンブリン・マン(Mr.tambourine man):バーズ

ボブ・ディランの作品として、フォークソング・ファンにはおなじみの名曲。バーズのロック風にアレンジされたレコードは、'65年5月にリリ
ースされ、6月に見事1位に輝いた。彼らのデビュー・ヒットであると同時に、フォーク・ロック・ブームの火つけ役を果たした1曲でもある。

ミスター・ベイスマン(Mr. Bass man):ジョニー・シンバル

ジョニー・シンバルの自作自演で、'63年始めに発表された。ヒット・チャートでの最高位は16位。バックでベースの口真似をしているの
はロニー・ブライドといい、かつてコースターズやヴァレンティノスといったグループで活躍していた人。この曲は日本でも何組かのグルー
プによって歌われていた。ノヴェルティ・ソングの典型的なヒット曲だが、発想といい、手法といい、実によくできた作品といえる。

ミニ・ミニ・ロック


メッカ


メロー・イエロー


モスクワの夜は更けて


モンキーズのテーマ


ヤング・ガール


ヤミー・ヤミー・ヤミー


ユー・リアリー・ガット・ミー(You really got me):キンクス

彼らの出世作で、'64年9月にイギリスで2週間ナンバー・ワン、アメリカでも7位まで上がる大ヒットとなった。キンキー・サウンドの典型
的な作品で、'78年にはアメリカのハード・ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンによっても取り上げられリバイバル・ヒットした。レイ・デイビスの
ペンによるもので、イギリスでは'83年にも再発売された。

夢のカリフォルニア(California dreamin'):ママス&パパス

グループの中心メンバー、ジョン・フィリップスが、当時の夫人ミッシェル・フィリップスと共作したフォーク・ロックの名曲。ジョンがニューヨ
ークのホテルで、故郷カリフォルニアに想いをはせて作った曲だと言われている。日本では、のちにもテレビ・コマーシャルのイメージ・ソ
ングに使われ、リバイバル・ヒット。アメリカでは'69年にボビー・ウーマック、'79年にアメリカ、'86年にビーチ・ボーイズが取り上げ、それ
ぞれヒット・チャートに送り込んでいる。

ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリーハッピー


夕陽のガンマン


ユール・ネバー・ノウ


夢のお月さま


夢みる想い


夜汽車よ!ジョージアへ


喜びの世界(Joy to the world):スリー・ドッグ・ナイト

ダンヒルでの10枚目のシングルとしてリリースされ、"ママー・トールド・ミー"に続いてナンバー・ワンを記録した、彼らの最大のヒット
曲。'71年春に6週間にわたってトップを独走、アメリカだけで800万枚を売り尽くす大ベスト・セラーとなった。作詞作曲はシンガー・ソン
グ・ライターのホイト・アクストン。彼の作品としては、ほかにも"ネヴァー・ビーン・トウ・スペイン"が、同じくスリー・ドッグナイト、"プッシャ
ー"がステッペンウルフ、"ノー・ノー・ソング"がリンゴ・スターによってそれぞれ取り上げられている。

ラ・バンバ(La bamba):リッチー・ヴァレンス

同名の映画ではロス・ロボスによって歌われていたが、リッチーのオリジナル盤は'58年暮れにリリースされ、翌年始めに全米チャートの
22位まで上がった。スパニッシュ・ヴァージョンで歌われ大ヒットした代表曲の1つ(ロス・ロボス盤は1位に輝いている)で、'62年にはト
ーケンズ、'66年にはトリニ・ロペスでもリバイバルヒットしている。作詞作曲はウイリアム・クラウソン。

ライオンは寝ている(The lion sleeps tonight):トーケンズ

'61年暮れに全米ナンバーワンを記録したトーケンズの出世作。南アフリカに古くから伝わる曲をポール・キャンベルがアレンジ、ウイー
バーズやゴードン・ジェンキンスによって、早くから歌い継がれていた。トーケンズのものはジョージ・ウエイス、アルバート・スタントンら
が再度編曲・加筆したいわば改訂版。'72年にはロバート・ジョンも取り上げ、リバイバル・ヒットさせている。

ラスト・ダンスは私に(Save the last dance for me):ドリフターズ

日本では越路吹雪の歌で大ヒット、そのためシャンソンやポピュラーのスタンダード・ナンバーと思われがちだが、実際は彼らドリヒター
ズが'60年に大ヒットさせた、アメリカ産のリズム&ブルース・ナンバー。同年秋に発表され、10月から11月にかけて3週間1位に輝い
た。アメリカではデフランコ・ファミリー('74年)やドリー・パートン('84年)のリメイク盤もヒット・チャートに登場している。

ラバース・コンチェルト


ラッパー


ラ・ノビア


ララは愛の言葉


リバティ・バランスを射った男(The man who shot Liberty Valance):ジーン・ピットニー
'

62年春に発売され、全米ヒット・チャートの4位まで上がった。同名映画の主題歌でもあり、日本ではドット・レーベルから発売されたフェ
アマウント・シンガーズの盤もかなりの人気を集めた。作詞作曲はバート・バカラックとハル・デビッドの名コンビ。

リーダー・オブ・ザ・パック


リトル・ダーリン


リトル・ホンダ


ルート66(Route 66):ジョージ・マハリス

ジョージ・マハリスが自ら主演した同名のテレビ・シリーズ主題歌。もともとは'46年にボビー・トウループが書いたものだが、'62年になっ
てテレビ番組が始まってからポピュラーになった。アメリカではネルソン・リドル楽団の演奏もの、日本ではジョージ・マハリスとナット・キ
ング・コールのヴォーカル盤が人気を二分した。

ルイジアナ・ママ(Louisiana mama):ジーン・ピットニー

日本でのジーン・ピットニーの名を決定づけた大ヒット。'62年2月頃から5月頃までヒットパレードの上位を飾り、トップにランクされたこと
もある。日本だけの大ヒットで、アメリカ本国では全く陽の目を見ていない(当時は同じようなケースが幾つもあった)。ジーン・ピットニー
のほか、飯田久彦のローカル盤でも親しまれていたのは、古くからのファンの皆さんならご存知の通り。

ルイ・ルイ(Louie Louie):キングスメン

歌手兼作曲家のリチャード・ベリーが作った曲で、'63年秋に発表され、6週間にわたって全米ヒット・チャートの2位にランクされた。'66
年にもシングルが再発売され、90位台ながら再びチャート・イン。ほかにも'66年にサンドパイパーズ、'78年にはジョン・ベルーシによっ
てもリバイバル・ヒットしている。古くはポール・リヴィアとレイダースの競作盤もリリースされたが、ヒットしていない。ごく最近もファット・
ボーイズのリメイク盤が発表され、シングル・ヒットしている。

ルシール


レッド・ラバー・ボール(Red rubber ball):サークル

ポール・サイモンがブルース・ウードリーの手を借りて、'65年に作詞作曲したもの。'66年春にサークルのデビュー・シングルとして発売
され、7月に2位まで上がる大ヒットとなった。ちょっぴりフォークソング風の味わいを持った、典型的なヒット・ポップスに仕上がっている。

レイ・ダウン


レッツ・ダンス


ロール・オーバー・ベートーベン(Roll over Beethoven):チャック・ベリー

'64年にビートルズがリバイバルヒットさせたほか、'61年にはヴェラーレス、'73年にはエレクトリック・ライト・オーケストラでもヒット・チャー
トに登場している。チャック・ベリーのオリジナル盤は'56年に発売され、ナショナル・チャートでは29位まで上がった。"メイベリーン"に続く2曲目のヒットナンバー。

ローハイド(Rawhide):フランキー・レイン

'58年以降、アメリカCBSテレビを通じて放映され、日本でも圧倒的な人気を呼んだ同名テレビ映画のテーマ・ソング。画面の方ではク
リント・イーストウッド、エリック・フレミングなどが活躍、曲の方は伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズなどのカバー・バージョンでも親し
まれた。ネッド・ワシントン、ディミトリー・ティオムキンの作品。

ロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock around the clock):ビル・ヘイリーと彼のコメッツ

ロックン・ロール史の最初の1ページを飾ったともいえる不朽の名作。'53年にマックス・フリードマンとジミー・デ・ナイトの2人が作詞作
曲、'54年にビル・ヘイリーと彼のコメッツによってレコーディングされ、翌'55年、映画"暴力教室"のオープニングに使われ、大ヒットした。
全米ヒット・チャートでは、同年夏に8週間トップを独走、のちにアメリカン・グラフィティの中でも取り上げられ話題を呼んだ。

ロックン・ロール・ミュージック


ローラ


ローズ・ガーデン


ワシントン広場の夜は更けて(Wasington Square):ヴィレッジ・ストンパーズ

"フォーク・ディキシー"と呼ばれた、ヴィレッジ・ストンパーズのスタイルを象徴するヒット・ナンバー。ボブ・ゴールドスタインとデビッド・シ
ャイアが共作、'63年秋に2位まで上がった。マリリン・メイのヴォーカル・バージョンも発売されているが、それほど知られていない。

ワン・ボーイ(One boy):ジョニー・ソマーズ

'60年夏に全米ヒット・チャートの54位まで上がった、ジョニー・ソマーズのデビュー・ヒット曲。リー・アダムスとチャールズ・ストラウスによ
って書かれ、ミュージカル"バイ・バイ・バーディ"の挿入歌として使われた。映画の中ではアン・マーグレット、ジャネット・リー、ボビー・ラ
イデルの3人によって歌われたが、レコードの方はジョニー・ソマーズ盤が大ヒットした。

笑って!ローズマリーちゃん(Smile a little smile for me):フライング・マシーン

グループのプロデューサーであり、ほかにもたくさんのヒット曲を書いているトニー・マコーレイとオス・スティーブンスが作詞作曲、'69年
暮れに全米ヒット・チャートのベスト・ファイブ内にランクされた、フライング・マシーンのデビュー・ヒット曲。イギリスでもパイ・レコードより
発売されたが、ヒット・チャートには登場していない。いささか間延びするような曲調のバラードだが、その実、甘い歌声とソフトなサウンド
がうまくマッチした味わい深いナンバーとなっている。

ワイプ・アウト(Wipe out):サーファリズ

'63年のヒットで、同年夏に2位までランク・アップ、サーファリズの出世作となった。ジム・パッシュを除くグループのメンバー4人の合作。
すでにサーフィン・ミュージックのスタンダードとなっている曲で、アメリカでは'66年にもリバイバル・ヒット、16位まで上がった。イントロ
からエンディングまで間断なく打ち続けられるドラミングが、この曲の最大のききもの。最近もヒットポップス系のグループ、ファット・ボー
イズがゲストにビーチ・ボーイズを迎えてレコーディング、見事リバイバル・ヒットさせている。

ワイルドで行こう!(Born to be wild):ステッペンウルフ

'68年夏に全米ヒット・チャートの2位まで上がった、ステッペンウルフのデビュー・ヒット曲。メンバーのひとりマース・ボンファイアが作っ
たもので、のちに映画"イージー・ライダー"の挿入歌としても使われ人気を呼んだ。タイトル通り、ワイルドでダイナミックなロック・ナンバ
ーとなっている。

ワン・ツー・スリー


笑って!ローズマリーちゃん


若草の恋


忘れないわ


私のボーイフレンド


1-2-3レッド・ライト


以下、工事中です。もうしばらくお待ちください。
ゆくゆくは、実際に音が出るようにしたいと思っています。
Coming Soon!!



1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

当時の世相


1960年代の世相をご紹介


'60sヒストリー

INDEX(年代の検索)
現在工事中につき使用できません。

年 代 海 外 国 内 世相・出来事
1955年 ロック・アラウンド・ザ・クロック(ビル・ヘイリー) この世の花(島倉千代子) ロックンロール誕生。日本、ガットに加盟
(昭和30年) メイベリン(チャック・ベリー) 月がとっても青いから(菅原都々子) ミュージカル映画が相次いで公開。西海橋開通
  ブルー・スエードシューズ(カール・パーキンス) 別れの一本杉(春日八郎) 紫雲丸沈没、修学旅行の小学生犠牲
1956年 ハートブレイクホテル(エルビス・プレスリー) 好きだった(鶴田浩二) エルビス・プレスリー旋風。太陽の季節が話題に
(昭和31年) 誇り高き男(スリーサンズ) ここに幸あり(大津美子) 西鉄、日本シリーズで初優勝、4勝2敗で巨人を破る
  ハウンド・ドッグ(エルビス・プレスリー) 若いお巡りさん(曽根史郎) 水俣に奇病多発(水俣病発見)
  ロックンロール・ワルツ(ケイ・スター) 愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子) 日ソ共同宣言調印、国交回復
  冷たくしないで(エルビス・プレスリー) ジャイアンツ(ワーナー・Brosオーケストラ) もはや戦後ではない、経済白書が強調
1957年 監獄ロック(エルビス・プレスリー) 青春サイクリング(小坂一也) 映画・エデンの東が超ロングランヒット
(昭和32年) アット・ザ・ホップ(ダニー&ジュニアーズ) メケ・メケ(丸山明宏) カリプソ・ソング大流行。宗谷、南極接岸に成功
  OK牧場の決闘(フランキー・レイン) 東京のバスガール(コロムビア・ローズ) 大相撲九州場所始まる。本場所に昇格
  禁じられた遊び(ナルシソ・イエペス) 夜霧の第二国道(フランク永井) 西鉄、日本シリーズで4勝1敗で巨人を破る
  白いスポーツコート(マーティ・ロビンス) 港町十三番地(美空ひばり) チャタレイ裁判有罪確定
  ママ・ギター(ドン・コーネル) お月さん今晩は(松山恵子) 日本に初めて原子の火、東海村原研
1958年 恋の日記(ニール・セダカ) 有楽町で逢いましょう(フランク永井) ロカビリーブーム。東京タワー完成
(昭和33年) ムーブ・イット(クリフ・リチャード) 嵐を呼ぶ男(石原裕次郎) 日劇で第1回ウエスタンカーニバルが開催。関門国道トンネル開通
  鉄道員(フェランコ・フェラーラ楽団) 星は何でも知っている(平尾昌晃) 売春防止法完全実施に
  浪路はるかに(ビリー・ヴォーン楽団) おーい中村君(若原一郎) 宮内庁、皇太子婚約を発表
  河は呼んでいる(サウンドトラック) 先生のお気に入り(ドリス・デイ) 阿蘇中岳が爆発,死者33名
  テキーラ(チャンプス) トム・ドウーリー(キングストン・トリオ) 西鉄、奇跡の大逆転。巨人を破り日本シリーズ3連覇
1959年 ウオーク・ドント・ラン(ベンチャーズ) 古城(三橋美智也) フジTVでザ・ヒットパレードの放映始まる。伊勢湾台風
(昭和34年) ホワッド・アイ・セイ(レイ・チャールズ) 黄色いサクランボ(スリーキャッツ) この年に日本レコード大賞が制定、初受賞は黒い花びら
  ライフルと愛馬(ディーン・マーチン) カラーに口紅(コニー・フランシス) 尺貫法をやめメートル法実施
  白銀は招くよ(トニー・ザイラー) 情熱の花(カテリーナ・ヴァレンテ) 皇太子結婚パレードに53万人
  マック・ザ・ナイフ(ボビー・ダーリン) 皆殺しの歌(ネルソン・リドル楽団) 激闘の三池争議始まる
1960年 GIブルース(エルビス・プレスリー) 潮来笠(橋幸夫) TVのカラー放映が始まる。
(昭和35年) 夏の日の恋(パーシーフェイス) 月の法善寺横町(藤島恒夫) 映画スター赤木圭一郎が歌手としてもデビュー
  アパッチ(シャドウズ) アカシアの雨がやむとき(西田佐知子) シルバー ビートルズ デビュー。メンバーは下記の4人
  ローハイド(フランキー・レイン) グリーンフィールズ(ブラザーズ・フォア) ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、
  悲しき16歳(ケイシー・リンデン) 死ぬほど愛して(アリダ・ケッリ) スチュワート・サトクリフで構成
  月影のナポリ(ミーナ) グッド・タイミング(ジミー・ジョーンズ) 60年安保反対闘争
  太陽がいっぱい(フィルム・シンフォニック) レッド・リバー・ロック(ジョニー&ハリケーンズ) 社会党浅沼委員長が暴漢に刺殺
1961年 栄光への脱出(フェランテ) 君恋し(F.永井) 映画・ウエストサイド物語が大ヒット
(昭和36年) マイ・ボニー(トニー・シェルダン&ビートルズ) スーダラ節(植木等) シャボン玉ホリデーがスタート。ドドンパ流行
  悲しき街角(デル・シャノン) 銀座の恋の物語(石原・牧村) 大阪・釜ケ崎で暴動
  コーヒー・ルンバ(ウーゴ・ブランコ楽団) ポケット・トランジスタ(アルマ・コーガン) 日本柔道敗れる。ヘーシンク優勝
  悲しき足音(スティーブ・ローレンス) 黒い傷あとのブルース(アンリド・バリ楽団) 3月21日ビートルズ、キャバンクラブに出演
  悲しき片思い(ヘレン・シャピロ) こげよマイケル(ハイウエイメン) ビーチボーイズ デビュー。ボブ・ディランデビュー
  アラスカ魂(ジョニー・ホートン) 月光のノクターン(ディック・ジェイコブス) 三井三池炭坑大争議
  日曜はいやよ(メリナ・メルクーリ) 星空のブルース(ベルト・ケンプフェルト) 初の小児マヒワクチンが投与
  悲しき少年兵(ジョニー・ディアフィールド) 夢のカルカッタ(ローレンス・ウエルク) 菅生事件無罪確定
1962年 ラブ・ミー・ドウ(ビートルズ) いつでも夢を(橋幸夫・吉永小百合) ツイストブーム
(昭和37年) テルスター(トーネードーズ) 遠くへ行きたい(ジェリー藤尾) 日本語による外国曲のカバーバージョンが大ヒット
  ロコモーション(リトル・エバ) 恋のバカンス(ザ・ピーナッツ) ベンチャーズ初来日。ビートルズ デビュー
  禁じられた遊び(ナルシソ・イェペス) ヤング・ワールド(リック・ネルソン) サリドマイド販売停止。
  霧の中のジョニー(ジョン・レイトン) 愛さずにはいられない(レイ・チャールズ) 若戸大橋完成
  ジョニー・エンジェル(シェリー・フェブレー) レモンのキッス(ナンシー・シナトラ) 世界一のタンカー日章丸進水
  ルイジアナ・ママ(ジーン・ピットニー) アウト・オブ・リミッツ(マーケッツ) マーメイド号太平洋横断
  モスクワの夜は更けて(ケニー・ポール楽団) スピーディ・ゴンザレス(パット・ブーン) 後藤巡査の遺体発見
  トウナイト(サウンドトラック)   合併五市の新市名・北九州市に決定
1963年 サーフィンUSA(ビーチボーイズ) 高校三年生(舟木一夫) サーフィン&ホトロッドブーム
(昭和38年) パフ(ピーター・ポール・&マリー) こんにちは赤ちゃん(梓みちよ) 坂本九のスキヤキが全米No1ヒット
  シェリー(フォーシーズンズ) プリーズ・プリーズ・ミー(ビートルズ) 初の日米宇宙TV中継。ケネディ大統領暗殺
  ヘイポーラ(ポール&マリー) サーフ・シティ(ジャン&ディーン) 6月5日黒四ダム完成
  悲しき雨音(カスケイズ) ミスター・ベイスマン(ジョニー・シンバル) 北九州市開庁式
  キューティ・パイ(ジョニー・ティロットソン) ワイプアウト(サーファリズ) 三井三池鉱炭塵爆発事故458人死亡
  内気なジョニー(ジョニー・ソマーズ) 愛しのラナ(ヴェルヴェッツ) 吉展ちゃん誘拐事件、捜査の手違いで犯人逃がす
  悲しきカンガルー(ロルフ・ハリス) GTOでぶっとばせ(ロニー&デイトナス) 大鵬6場所連続優勝
  サンライト・ツイスト(ジャンニ・モランディ) ボビーに首ったけ(マーシー・ブレーン) カッパ2号打ち上げ成功
  禁じられた恋の島(エリオ・ブルーノ楽団) グリーン・グリーン(ニュー・kリスティ・ミンストレルス) 水爆積載用F15板付基地配置
  プリーズ・プリーズ・ミー(ビートルズ) ワシントン広場の夜は更けて(ヴィレッジ・ストンパーズ) 巨人、日本シリーズで西鉄に初勝利
  ドミニク(スール・スーリール) ブルー・ヴェルヴェット(ボビー・ビントン) 力道山刺され死亡
1964年 抱きしめたい(ビートルズ) 東京五輪音頭(三波春夫) フォークソングブーム。ライシャワー米大使刺される
(昭和39年) 愛なき世界(ピーター&ゴードン) 君だけを(西郷輝彦) ビートルズの映画ヤア・ヤア・ヤアが8月に公開
  太陽の彼方に(アストロノウツ) 愛と死をみつめて(青山和子) ビートルズ、全米チャート上位5曲独占
  花はどこへ行った(キングストントリオ) 恋はスバヤク(ガス・バッカス) 1位キャント・バイミー・ラブ2位シー・ラブズ・ユー
  オー・プリティ・ウーマン(ロイ・オービソン) ブーベの恋人(サウンドトラック) 3位ツイスト&シャウト4位フロム・ミー・トウ・ユー
  恋のパームスプリングス(トロイ・ドナヒュー) すてきなメモリー(ジョニー・ソマーズ) 5位オール・マイ・ラビング
  ロシアより愛をこめて(マット・モンロー) サスピション(テリー・スタッフォード) 10月1日東海道新幹線開通
  朝日のあたる家(アニマルズ) ドウー・ユー・ラブ・ミー(デーブ・クラーク・5) 10月10日東京オリンピック開催。日本・金メダル16個
  ピンと針(サーチャーズ) ユー・リアリー・ガット・ミー(キンクス) 新潟地震。蜂ノ巣城を強制撤去、下筌ダム建設へ
1965年 ターン・ターン・ターン(バーズ) 女心の唄(バーブ佐竹) 本格的エレキブーム到来
(昭和40年) サティスファクション(ローリングストーンズ) 網走番外地(高倉健) フジTVの勝ち抜きエレキ合戦がスタート
  明日なき世界(バリー・マクガイヤ まつのき小唄(二宮ゆき子) 山一証券経営危機日銀特融で再建
  ミスター・タンブリン・マン(バーズ) 魔法を信じるかい(ラヴィン・スプーンフル) 映画・ヘルプ-4人はアイドル公開。スイムが流行
  アイ・ガット・ユー・ベイブ(ソニーとシェイル) ゴールド・フィンガー(シャーリー・バッシー) ベンチャーズの人気は凄く、
  夜霧のしのび逢い(クロード・チアリ) ダイナマイト(クリフ・リチャード) ダイヤモンドヘッド・10番外の殺人・キャラバン等ヒット
  霧のカレリア(スプートニクス) 夜空のトランペット(ニニ・ロッソ) フレンチ・ポップス ブーム
  恋のダウンタウン(ペトウラ・クラーク) 太陽を探せ(デル・シャノン) 米空軍の北爆開始。名神高速道路開通
1966年 サウンドオブサイレンス(S&G) バラが咲いた(マイク真木) ビートルズ来日
(昭和41年) 悲しき戦場(バリー・サドラー) 骨まで愛して(城卓也) マカロニ・ウエスタンが流行
  ヘイ・ジョー(ジミ・ヘンドリックス) 知りたくないの(菅原洋一) グループ・サウンズのブーム始まる
  恋の終列車(モンキーズ) 霧氷(橋幸夫) 朝の連続ドラマ・おはなはんが人気に
  サマー・インザ・シティ(ラビン・スプーンフル) ソウル&インスピレーション(ライチャス・Bros) ジミ・ヘンドリックスがエクスペリアンス結成。クリーム結成
  夜のストレンジャー(フランク・シナトラ) チェッリシュ(アソシエイションズ) キャバンクラブが2月28日をもって閉店
  この胸のときめきを(D.スプリングフィールド) ミッシェル(ビートルズ) 全日空ボーイイング727が着陸に失敗、東京湾に墜落
  バスストップ(ホリーズ) ワン・トウー・スリー(レン・バリー) BOAC機が富士山上空で空中分解、墜落
  黒くぬれ(ローリング・ストーンズ) 花のささやき(ウイルマ・ゴイク) 天草五橋開通
  孤独の太陽(ウオーカー・ブラザーズ) イエローサブマリン(ビートルズ) ベトナム戦争ますます激化
1967年 花のサンフランシスコ(S.マッケンジー) 恋のハレルヤ(黛ジュン) グループサウンズ大流行
(昭和42年) 青い影(プロコル・ハルム) 小指の思い出(伊東ゆかり) タイガース、ジャガース、カーナビーツ、デビュー
  サイレンス・イズ・ゴールデン(トレメローズ) 霧の摩周湖(布施明) テンプターズ、ゴールデンカップス、モップス、デビュー
  バラ・バラ(レインボウズ) 帰ってきたヨッパライ(F.クルセダース) ソウル ミュージック台頭
1968年 恋はみずいろ(ポール・モーリア) 恋の季節(ピンキーとキラーズ) アートロック流行。ライフル銃乱射の金嬉老が篭城
(昭和43年) サイモン・セッズ(1910フルーツガム・カンパニー) 君だけに愛を(タイガース) 映画・卒業の公開でサウンドオブサイレンスがリバイバルヒット
  悲しき天使(メリー・ホプキン) マサチューセッツ(ビージーズ) アップルレーベル8月に設立。九州縦貫道が起工式
  ハロー・アイラブユー(ドアーズ) ウインディ(アソシエイションズ) エンプラ闘争で三派全学連と警官隊が対決
  サニー(ボビー・ヘブ) 雨に消えた初恋(カウシルズ) 三億円強奪事件。札幌医大で初の心臓移植手術
  コングラチュレイション(クリフ・リチャード) ウーマン・ウーマン(ユニオン・ギャップ) 川端康成にノーベル賞。米軍ジェット機九大構内に墜落
1969年 スピニング・ホイール(ブラッド・スウェット・&ティアーズ) 夜明けのスキャット(由紀さおり) ブラス・ロック流行
(昭和44年) ホワイトルーム(クリーム) 白いブランコ(ビリーバンバン) ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚、ベッドイン
  涙の口づけ(レターメン) ブルーライト・ヨコハマ(いしだあゆみ) ビートルズがアップルの屋上で演奏、映像でも紹介
  ラブミー・トウナイト(トム・ジョーンズ) 時には母のない子のように(カルメン・マキ) 東大安田講堂篭城事件
  輝く星座(フィフス・ディメンション) 西暦2525年(ゼーガーとエバンズ) 大分県下筌ダム試験貯水開始
  ラブ・チャイルド(ダイアナ・ロス) マンチェスターとリバプール(ピンキー&フェラス) 水俣病裁判の初審理が熊本地裁で
1970年 レット・イット・ビー(ビートルズ) 走れコータロー(ソルティシュガー) ビートルズ解散。映画・イージーライダーが公開
(昭和45年) ヴィーナス(ショッキング・ブルー) 空よ(トワ・エ・モア) 西鉄の池永選手ら3人が八百長事件で永久追放
  明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル) 希望(岸洋子) アジア初の万国博開催(大阪吹田市)
  イエローリバー(クリスティ) 雨にぬれても(B.J.トーマス) 日航よど号乗っ取り事件
  雨のささやき(ホセ・フェリシアーノ) イン・ザ・サマータイム(マンゴ・ジェリー) 市ヶ谷自衛隊駐屯地で三島由紀夫自決
1971年 喜びの世界(スリードッグナイト) また逢う日まで(尾崎紀世彦) フレンチ・ポップス再び流行
(昭和46年) アナザーデイ(ポール・マッカートニー) よこはまたそがれ(五木ひろし) 全日空ボーイング727機が岩手県雫石上空で墜落
  僕の歌は君の歌(エルトン・ジョン) 私の城下町(小柳ルミ子) 成田空港建設のための代執行始まる
  ローズガーデン(リン・アンダーソン) ノックは3回(ドーン) ニクソン、金-ドル交換停止等のドル防衛策発表
  ブラック・マジック・ウーマン(サンタナ) サインはピース(オーシャン) 10ケ国蔵相会議で1ドル=308円に決定
1972年 アローン・アゲイン(ギルバート・オサリバン) 喝采(ちあきなおみ) この年から圧倒的な外タレ・ラッシュ
(昭和47年) アメリカン・パイ(ドン・マクリーン) 結婚しようよ(吉田拓郎) ベンチャーズは10回目の来日
  オールドファッションドラブソング(スリードッグ・ナイト) どうにもとまらない(山本リンダ) グアム島で元日本兵横井さん発見
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ) 心もよう(井上陽水) カーペンターズの人気爆発
(昭和48年) 幸せの黄色いリボン(ドーン) てんとう虫のサンバ(チェッリシュ) プレスリーのハワイ コンサートが宇宙中継
  やさしく歌って(ロバータ・フラック) くちなしの花(渡哲也) 映画・アメリカン・グラフィティが公開、オールディーズブームに拍車
1974年 ジェット(ポール・マッカートニー) ひと夏の経験(山口百恵) アメリカでビーチ・ボーイズの人気再燃
(昭和49年) アイ・ショット・ザ・シェリフ(エリック・クラプトン) 二人でお酒を(梓みちよ) ルバング島で元日本兵小野田さん発見
  天使のささやき(スリー・ディグリーズ) うそ(中条きよし) 三菱重工ビル前で過激派の爆弾が破裂
1975年 愛がすべて(スタイリスティックス) シクラメンのかほり(布施明) およげたいやきくんが空前の大ヒッ
(昭和50年) スカイ・ハイ(ジグソー) ルージュの伝言(荒井由美) アップル・レーベルが5月10日をもって閉鎖
  キラー・クイーン(クイーン) 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウンタウンB.B) 日本初の海上空港長崎空港が開港
1976年 ザッツ・ザ・ウエイ(KC&サンシャインバンド) 春一番(キャンディーズ) 米上院でロッキード汚職事件が発覚
(昭和51年) 見つめあう恋(カーペンターズ) ペッパー警部(ピンクレディ) 田中角栄前首相逮捕
  ラブ・イズ・ブラインド(ジャニス・イアン) 青春時代(森田公一) 西日本初の天神地下街がオープン
1977年 ダンシング・クイーン(アバ) 津軽海峡冬景色(石川さゆり) リニアカー世界初の浮上(宮崎県日向市)
(昭和52年) ふたりのラブソング(カーペンターズ) 秋桜(山口百恵) 成田国際空港で抗争、鉄塔を撤去
  スター誕生愛のテーマ(バーブラ・ストライザンド) 勝手にしやがれ(沢田研二) 王貞治選手本塁打世界新
1978年 恋のナイトフィーバー(ビージーズ) UFO(ピンクレディー) 植村直己、北極点単独横断
(昭和53年)   青葉城恋歌(さとう宗幸)YMCA(ヴィレッジ・ピープル) 成田空港開港
  ストレンジャー(ビリー・ジョエル) カナダからの手紙(畑中葉子) クラウンライターライオンズ西武に身売り
  コパカバーナ(バニー・マニロウ) Mr.サマータイム(サーカス) 佐世保重工社長に坪内寿夫氏
  ハートで歌おう(ベイ・シティローラーズ) 時には娼婦のように(黒沢年男) 宮城沖でM7.5の地震
  悲しき願い(サンタ・エスメラルダ) 飛んでイスタンブール(庄野真夜) 福岡市異常渇水で時間給水始まる
  伝説のチャンピオン(クイーン) 君の瞳は10000ボルト(堀内孝雄) 八幡から高炉の火消える
1979年 オネスティ(ビリー・ジョエル) 魅せられて(ジュディ・オング) 江川、阪神と契約トレードで巨人入り
(昭和54年) ハート・オブ・グラス(ブロンディ) おもいで酒(小林幸子) 福岡市内の路面電車が全廃
  恋のサバイバル(グロリア・ゲイナー) 別れても好きな人(ロスインディオス) 国鉄山口線にSLが復活
  チキチータ(アバ) Young Man(西条秀樹) 日本坂トンネルで事故、7名死亡
  アイム・セクシー(ロッド・スチュワート) 関白宣言(さだまさし) ネズミ講が消滅、終息宣言
  ダンスに夢中(レイフ・ギャレット) アメリカン・フィーリング(サーカス) 君津市でトラ脱走、射殺
1980年 スターティング・オーバー(ジョン・レノン) ダンシング・オールナイト(もんた&ブラザーズ) 金属バットで両親を殺害
(昭和55年) セイル・オン(コモドアーズ) パープル・タウン(八神純子) 大平内閣不信任決議案を可決
  ダンシング・シスター(ノーランズ) 恋人よ(五輪真弓) 衆参両院同日選挙で自民党圧勝