洋楽懐メロBack to the 60s レブロンOB会

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1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

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INDEX

アーティスト

当時のポップス・シーン

A ASTRONAUTS デビューは1963年。シングルとアルバムをリリースしたが、わずかにシングルの「Baja-サーフィンNo1」
が90位台にランクされたのみ。しかし日本では「太陽の彼方に」がエレキ&サーフィン ブームに乗って
大ヒット。熱狂的な歓迎の中、来日も果たした。
  ANGELS ロネッツ、クリスタルズ、シャングリラスなどと並んで、1960年代前半のポップ・シーンを飾った人気女性グループ。
  ARCHIES アーチーズが架空のグループだったことは、周知の事実として有名。便宜上5人のメンバーが列挙されて
いたが、もとより実在していない。
  ASSOCIATIONS 調和のとれた美しいヴォーカル・ハーモニーが魅力で、ソフト・ロックのリーダーとして活躍。チェリッシュ、ウインディなど
ヒット。
  ALBERT HAMMNOD イギリスで生まれたが、少年時代の大半をスペイン南部のジブラルタルで過ごした。
  AL HIRT ジャズのメッカ、ニューオーリンズに生まれたが、学生時代はオハイオ州シンシナティで過ごし、音楽学校を卒
業後、ジミー・ドーシーやトミー・ドーシー楽団で腕を磨いた。その後、第二次大戦とともに陸軍に入隊、ヨーロ
ッパに渡り、除隊後も同地でトランペッターとして活動。
  ANN MARGRET 1962年に映画”スイート・フェア”でパット・ブーンの相手役。翌63年には”バイバイ・バーディー”で主演をつと
め、一躍ビッグスターへと成長した。持ち前のルックス、プロポーションの素晴らしさに加え、キュートでセクシーな
歌いかたが人気を呼び、日本でも多くの男性ファンを魅了した。
  ANTHONY PERKINS 父親のオスグッド・パーキンスが俳優だったことから、幼い頃から影響を受け、コロムビア大学を卒業後すぐ
にショー・ビジネス界入りする。
  ANDY WILLIAMS 1956年、ケイデンス・レコードからデビュー。ウオーク・ハンド・イン・ハンド、カナダの夕陽、ハワイアン・ウエディング・ソングな
どのヒットを発表。1961年にコロンビアに移籍、翌年より自分のTVショーで活躍。”彼女は億万長者”など
のドラマにも出演した。
  AUDREY HEPBURN 今や世界中に誰ひとり知らぬ人もなくなったヒット・ミュージカル舞台を、オードリー・ヘップバーンの主演で70ミリ
大画面に再現する話題のワーナー超大作"マイ・フェア・レディ"の主題歌、"踊り
明かそう"を歌う。
B BEATLES 1957年、ジョン・レノンポール・マッカートニーがリヴァプールのフールトン・パリッシュ教会で知り合う。ジョン(当時17
歳)は既に自分のグループ"クオーリーメン"を結成し活動。1960年、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・
ハリスン、スチュワート・サトクリフによるシルバー・ビートルズが6月にジェリーとペースメーカーズとともにイギリスでステージ
デビュー。8月にはピート・ベストをドラマーに迎え、ハンブルグで活動を開始。暮れにはリヴァプールに戻って、
演奏を披露した。'61年3月21日にリヴァプールのキャバーン・クラブに初出演(ドラマーはリンゴ・スター)。8月2日
よりレギュラーとして出演。キャバーン・クラブを訪れたブライアン・エプスタインが彼らに注目し、12月13日にマネー
ジメント契約を結ぶ。トニー・シェルダンと吹き込んだ"マイ・ボニー"は当時は不発。'62年10月にファースト・シンク
゙ル"ラブ・ミー・ドウ"と"PSアイラブ・ユー"を。'63年デビュー・アルバム"プリーズ・プリーズ・ミー"がイギリスで発売さ
れ、30週間にわたってトップを独走した。'64年"抱きしめたい"でアメリカ デビュー。2月から3月にか
け、7週間トップを記録。さらに全米チャート上位5曲を独占。7月、初の主演映画"ビートルズがやって
くるヤア!ヤア!ヤア!が公開。'65年第2弾映画ヘルプ四人はアイドルが公開。'66年10月ジョン・レノン
とオノ・ヨーコが初めてロンドンのインディア・ギャラリーで逢う。6月ビートルズ来日、武道館で計5回のコンサート
を行う。'67年宇宙中継で"愛こそはすべて"を演奏。'69年アップルの屋上で演奏、映像でも紹介
される。'70年ビートルズ解散。"レット・イット・ビー""ロング・アンド・ワインディング・ロード"の2大シングルがヒット。
  BAY CITY ROLLERS スコットランドはエジンバラが生んだ、1970年代を代表するスーパー・アイドル・グループ。親しみやすいルック
スとポップなサウンドで日本でもタータン・ハリケーン・ローラーズ旋風を巻き起こした。
  BLOOD SWEAT AND TEARS シカゴと並んでブラス・ロックの旗頭と騒がれた、大型ロック・ジャズ・バンド。アル・クーパーが創設。"ユーブ・
メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー”"スピニング・ホイール"など。
  BOX TOPS メンフィスのハイスクールに通っていたクラスメイトによって、'60年代半ばに結成された5人組。
  BREWER & SHIPLEY 一時は'70年代の"サイモン&ガーファンクルとして注目を浴びていた男性デュエット・チーム。
  BROTHERS FOUR キングストン・トリオ、ピーター・ポール&マリーと並んで、モダン・フォーク・ブームを作り上げたおなじみのグルー
プ。キャリアは古く、1958年にワシントン大学に通う学生4人で結成された。
  BROWNS アーカンソー州パイン・ブラフの出身。'59年に"谷間に三つの鐘が鳴る"での大ヒットを放った。
  BUCKINGHAMS デビュー当時はU.S.Aというマイナーレベルの所属だったが、"カインド・オブ・ア・ドラッグ"の大ヒットを放った
直後、コロンビアに引抜かれ、ジェイムズ・ガルシオのバックアップで大きく成長、ブラス・ロックのベーシック スタイ
ルを確立した。
  BYRDS ビートルズを筆頭とするリヴァプール・サウンド全盛の折、1965年にウエスト・コーストよりデビュー。いわゆ
るフォーク・ロックの旗頭として活躍、のちのポップシーンにも多大な影響を与えた。ミスター・タンブリンマンで
デビュー。他にターン・ターン・ターンなど。
  BOBBY DARIN イギリス人の母親とイタリア系アメリカ人の父親のもとに生まれた。本名をウオルデン・ロバート・カッソートという。
  BILL HALEY & HIS COMETS ペンシルヴァニア州チェスター出身。プレスリーと並んで、ロックンロール史を飾ったパイオニアとして余りにも有名。
  BOBBY HEBB ミュージシャンだった両親のもと、早くからギターを習い、南部を中心に巡業して歩いた。12歳のとき
にカントリーの殿堂グランド・オール・オープリーに出場したという実績の持ち主である。'66年に"サニー"
の大ヒットで成功を収めた。
  BEN E. KING '58年にクラウンズに加入、その後ドリフターズに生まれ変わった。ソロとして独立したのは、'60年5月。
'61年に入って"スパニッシュ・ハーレム""スタンド・バイ・ミー"などのヒットを飛ばした。
  BOBBY SOLO '60年代半ばに"ほほにかかる涙"でデビュー、あっという間にスターダムにのし上がったシンデレラ・ボーイ。
  BILLY VAUGHN 6歳の時にウクレレを覚えたのがきっかけで、ハイスクールに入る頃には殆どの楽器をこなすまでにな
っていたという。ミュージシャンとして本格的にスタートしたのは第二次大戦が終わってから。
  BOBBY VINTON '60年代前半にデビュー以来、"ブルー・オン・ブルー""ブルー・ヴェルベット""ブルー・ファイア""ブルー・ハート"な
ど一連のブルー・シリーズで素晴らしい人気を集めた。
  BEACH BOYS '62年に"サーフィン"でデビュー。サーフィンUSAなどヒットを放つ。'74年に人気再燃。
  BARRY SADLER.SSgt 60年代半ば、反戦歌が流行の中、彼が歌った悲しき戦場は逆の立場(体制側)からの主張を
テーマにした作品として、大いなる注目を集めた。
  B.J.THOMAS 本名ビリー・ジョー・トーマス。幼い頃より教会の聖歌隊で歌いはじめ、ハイスクールの時代には自分たち
のグループ”トライアンフ”を結成。カントリー&ウエスタンやリズム&ブルースを中心に地元のクラブやパーティで演奏
していた。
C CASCADES "小さな滝"というグループ名が示すように、さわやかで洗練されたハーモニーが、彼らの最大の魅力。
第2弾ヒットとなった"悲しき北風"、ファースト シングルとして発売された"悲しいわけは"なども、"悲
しき雨音"に勝るとも劣らない佳曲だった。
  CHUK BERRY 本名をチャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリーという。ロック史上最も多くのミュージシャンに影響を与えた、
偉大なアーティスト。これまでに発表されたヒット曲は枚挙にいとまがないが、その多くがさまざまな
シンガーやグループによってカバーされている。ジョニー・B・グッド、スイート・リトル・シックスティーン、キャロル、リーリン
&ロッキン、メイベリン、バック・イン・ザ・U.S.A
  CAPRICORN 1969年11月にロンドンで結成された、混声ヴォーカル・トリオ。グループ結成後、しばらくロンドン周辺
のクラブなどで歌っていたが、イギリスBBC放送のプロヂューサーに認められ、レコード界にデビューした。
  CARMEN CAVALLARO 生後すぐにピアノを習い始め、3歳の頃には一通りの曲が弾けるようになっていたという。
  CARPENTERS '73年に人気爆発。シングルのイエスタデイ・ワンスモア、アルバムのナウ・アンド・ゼンなどがヒット。
  CHAMPS '50年代後半から'60年代始めまで活躍した代表的なインスツルメンタル・グループ。出世作となったの
は"テキーラ"
  CHANTAY'S カリフォルニア州サンタ・アナ・カレッジに通う学生5人が、1961年に結成したグループ。校内でのパーティなど
でプレイしたあと、1963年始めに、ローカル・レーベルのダウニーで”パイプライン”をレコーディング。
1965年12月、エレキ・ブームに乗って初の来日を果たしたが、そのときメンバーの半数が退団。
  CHASE ジャズ・トランペッターのビル・チェイスが同じ仲間のジャズメンを集めて結成した。
  CHI-LITES ソウル界の名プロデューサー兼ソング・ライター ユージン・レコードを中心に1960年に結成された。
  CRESTS ニューヨークはブルックリン出身のジョニーとトミー、ステイトン・アイランド出身のハコルドとジェイの4人によって、'50
年代後半に結成された。
  CYRKLE フォークロック・ブームにわいていた'66年春、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインに認められ
てデビュー。
  CLIF RICHARD '58年デビュー。8月に英コロムビアと契約、ムーブ・イットでスターダムにのしあがり、10月にはラジオ初出演、
11月にはアメリカでのデビューも果たした。
  CREEDENSE CLEARWATER RIVIVAL プラウド・メアリーの大ヒットを飛ばし、続いてバッドムーン・ライジング、3枚目にアイ・プット・ア・スペル・オン・ユーを
放つ。この悪魔的サウンドに日本のファンがすっかり魅せられた。
  CREAM メンバーは、ギター・ヴォーカルはエリック・クラプトン、ベース・ギター・ヴォーカルはジャック・ブルース、ドラムスはジンジャ
ー・ベイカーの3人。"サンシャイン・ラブ""スプーンフル"など。
D DEEP PURPLE デビューは1968年。ハード・ロックの代名詞とも、ヘビー・メタルの元祖とも言われている伝説のグループ。
  DAVE BRUBECK 母親がピアノの教師をしていたことから、デイブも2人の兄たちと一緒に幼い頃からピアノを始め、
大学時代にはクラシックとともにジャズの奏方もマスターした。
  DON CORNELL '42年にサミー・ケイ楽団のシンガー兼ギタリストとして迎えられた。途中、海軍に籍を置いていたときも
あったが、'46年に復帰、'49年にソロシンガーとしてコーラル・レコードよりデビューした。
  DAWN その昔ソロ・シンガーとして活躍していたトニー・オーランドがプロデューサーのハンク・メドレスと共同で"恋する
キャンディダ"を録音、'70年夏に発売したところ、これが大ヒット。続く"ノックは3回"が前作を上回る
ヒットとなったことから、このグループの歴史が始まった。
  DIAMONDS カナダ出身のテッド・コワルスキーが、'53年に仲間を誘ってスタートさせたのがグループの始まり。
  DION 父親がエンターテイナーという恵まれた環境に育ち、11歳でポール・ホイットマンのラジオ・ショーに出演、'58
年に他のメンバー3人とベルモルツを結成して、ローリー・レーベルからデビューした。
  DONOVAN 1960年代半ばにデビューし、当初はボブ・ディランの後継者として注目を集めた。いわゆるフォークロッ
ク系のシンガーだが、後にはジェフ・ベックと共演するなど、ロック畑のメイン・フィールドにも進出して話題
を集めた。
  DRIFTERS 初代ドリフターズがデビューしたのは'53年秋のこと。'59年には強力なリード・シンガー、ベン・E・キングが
加入。'61年にルビー・ルイスと交代、第2期黄金時代を築き、'60年代後半まで数多くの名作を残
した。"ラスト・ダンスは私に
""渚のボードウオーク"などがある。
  DEL SHANNON 出世作となった"悲しき街角"以来、日本では"花咲く街角""さらば街角""街角のプレイ・ガール"
など、一連の街角シリーズで人気沸騰。アメリカではビートルズと共演したり、彼らのヒット曲"フロム・ミー・
トウー・ユー"のカバー・バージョンを発表したりした。
  DUSTY SPRINGFIELD 本名をマリー・イソベル・キャサリーン・オブライエンという。小さい頃から兄のトム・スプリングフィールドとともに音楽
に親しみ、女性だけのグループ、ラナ・シスターズを結成。
  DEAN MARTIN '46年にジェリー・ルイスとコンビを組みコメディアンとして劇場やラジオに出演しながらレコードの吹き込みも
始めた。"ヴォラーレ”、”ライフルと愛馬"など。
  DONNA LYNN 1964年前半のビッグ・ニュースはビートルズ旋風が世界中を吹き荒らした事。10歳のときにアメリカ芸能
家協会に登録、13歳で"夢みるビートルズ”を発表。
  DOORS リード・ヴォーカルはジム・モリソン。世界中がサイケデリックの新しい波、ニュー・ロックの出現などといってドアー
ズを始めとする新感覚グループに注目した。"ハロー・アイ・ラブ・ユー""ハートに灯をつけて"など。
  DELFONICS フィリー・ソウルの初期を飾った人気グループ。
  DANNY & JUNIORS '57年に結成、当時は全員が高校生で、ジュパネアーズというグループ名で活動。
E ENNIO MORRICONE 小さい頃からクラシックが好きで、サンタ・チェチリア音楽院で作曲や器学をマスターしたのち、管弦楽奏者
として活動、'50年代半ばより作曲、編曲家として本格的なスタートを切った。荒野の用心棒・荒野
の1ドル銀貨・帰ってきたガンマン・さすらいのガンマンなどをヒットさせた。
  ELVIS PRESLEY 1960年3月23日、アメリカ陸軍を除隊。3月に除隊後初のレコーディング。5月にフランク・シナトラとのTVスヘ
゚シャルが放映。秋に、映画GIブルースの撮影がスタート。'77年8月16日他界。享年42歳。
F FLYING MACHINE フライング・マシーンは別々に活動していた2組のチームが合体してできたイギリスのポップ・グループ。
  FOUNDATIONS '60年代後半から末頃にかけて活躍した、黒人と白人の混成による8人組みのリズム&ブルース系
グループ。
  5TH DIMENSION ユニークなグループ名と見事なヴォーカル・ハーモニーでアメリカはもとより日本でも素晴らしい人気を集めた。
ビートでジャンプ・輝く星座・ウエディングベル・ブルース・ストーン・ソウル・ピクニックなどがヒットした。
  FRANKIE LAINE ミッチ・ミラーのすすめで1951年にコロムビア入り、ジザベル、ローズ・ローズ・アイラブユーなどのヒットを放つ一方、
ハイヌーン、OK牧場の決闘など、西部劇映画のテーマ・ソングでも幅広くファンの人気を集めた。
G GUESS WHO '69年から'70年頃までの活躍はめざましく、"ラーフィン""ンータイム""アメリカン・ウーマン"など大ヒットを連発、
カナダ出身のグループとしては、史上最高ともいえる大活躍ぶりを示した。
  GILIOLA CINQUETTI 法律家だった父親のもと、末っ子として生まれた。家庭が裕福だったこともあって、比較的自由
に育ち、5歳のときから姉のローザ・ビアンカとともに、ピアノを習い始めた。
  GALE GARNETT イギリス人でカーニバルの芸人をしていた父親と、ロシア人の母親の間に生まれた。家庭の生活は貧
しく、また、父親の仕事柄各地を転々とせざるを得なかった。
  GRASS ROOTS デビュー当時はフォークロックの代表グループとして、また'60年代末以降はアメリカン・ポップス ダンヒル・サウンド
の象徴として大活躍した。
  GEORGE MAHARIS 海軍を除隊後、ダンス・バンドの専属歌手として働きながら、演劇学校に通い、オフ・ブロードウエイの
舞台を経てハリウッドに進出する。出世作となった”ルート66"に主人公のバズ役で出演。
  GENE PITNEY 本名ジーン・フランシス・ピットニー。ハイスクール時代にピアノ、ギター、ドラムスなどをマスターするかたわら作曲も
始め、幾つかの出版社に自作の曲を売り込んで回った。2オクターブ半も出るといわれる広い音
域を生かして、"非情の町""リバティ・バランスを射った男"など発表。
  GUS BACKUS アメリカ空軍に入隊後、仲間とデルヴァイ・キングスというクワルテットを結成。その後ドイツに配属され、除
隊後もドイツにとどまる。"恋はスバヤク"など。
H HONEYCOMES キンクス、サーチャーズに次いでパイレコードから送り出されたのが、このハニカムズなる5人組だった。彼ら
の魅力のポイントは何といっても、ドラマーが(当時21歳のチャーミングな)女性だったというところにあ
り、それは'65年の来日ステージでも実際に証明された。
  HEDVA & DAVID 女性のヘドバはイスラエル、男性のダビデはフランスの生まれ。日本では"ナオミの夢"で有名になった。
  HONDELLS 始めはグループの存在はなく、リチャード・バーンズが一人でレコーディング。リトル・ホンダが大ヒットすると同
時に、急遽3人のメンバーが集められた。
J JEFFERSON AIRPLAINE ドアーズ、グレイトフル・デッドなどと並ぶサイケデリック・サウンドの代表的グループとして君臨した。
  JOHNNY CYMBAL ある日、アマチュア・コンテストが開かれるのを知り、ギタリストとして出場するが落選。しかし、たまたま
歌った歌の方が認められ、ハイスクールに通うかたわらMGMで数曲をレコーディング。'62年9月、学校
を卒業すると同時にプロとしてスタート、”ミスター・ベイスマン”の大ヒットを放った。
  JOSE FELICIANO 独特の雰囲気を持つシンガー兼ギタリストとして一世を風靡した、日本でもおなじみのアーティスト。
  JOHNNY HALLYDAY ベルギー人の父親とフランス人の母親の間に生まれた。本名をジャン・フィリップ・スメといい、子どもの
頃から歌と踊りが好きで、15歳のときからギターを持って地元のクラブで歌っていた。
  JOHNNY HORTON 少年の頃の彼は、11歳より始めたというギターを片手に、兄のフランクらと一緒にウエスタン・バンドを結成、
家族らとともに移り住んだカリフォルニア周辺では結構評判を呼んでいたらしい。'60年11月に他界
したためシンガーとしての活躍期間は短かった。
  JIGSAW スカイハイのヒットで有名になった男性4人組。
  JERRY LEE LEWIS '50年代から'60年代にかけて大活躍したロカビリー・シンガーの大御所。ザ・キラーのニックネームを持ち、
ピアノを叩くように弾きながら歌う独特のスタイルは、彼のトレードマークとなっている。
  JOANIE SOMMERS '60年代前半に放った数々のヒット曲とともに、TVシリーズ"サンセット77"の出演者としても人気を呼んだ。
  JOHNNY TILLOTSON 本名をジョニー・コージー・ティロットソンという。そもそもはカントリー&ウエスタン系のシンガーだが、日本ではポッ
プスターのイメージが強く、アメリカとは異なるヒット・パターンで人気を集めた。日本でのデビュー・ヒットとな
った、"キューティ・パイ"や"プリンセス・プリンセス"は日本のみのヒットであり、和製ポップスの代表曲とな
った"涙くんさようなら""バラが咲いた"などは日本のファンのみを対象に作られたヒット曲だった。
  JOHNNY WESTERN TV映画"西部のパラディン"の主題歌"西部のパラディン"を歌う。
  JIMI HENDRIX '66年にエクスペリアンスを結成、10月にロンドンのクラブで初ステージ、12月にはデビュー・シングル、ヘイ・ジ
ョーをリリース。翌年夏にはモンキーズとともに全米ツアーを始める。他に"紫のけむり"など。
  JAY & TECHNIQES '67年夏にアップルパイは恋の味がヒット。
  JOE DOWELL "さらばふるさと"の大ヒット。
K KINKS 独特のキンキー・サウンドでビートルズやストーンズとは一味違う魅力で、ブリティッシュ・ビートのパイオニア的存
在をなした。
  KINGSMEN オレゴン州ポートランド出身のブルー・アイド・ソウル系のグループ。
L LESLEY GORE ジャズのレコードをコレクションしていたアランという従兄弟の影響で、小さい頃から、ジューン・クリスティ、クリ
ス・コナー、アニタ・オデイなどのレコードを聞いて育った。"涙のバースデイパーティ"がヒット
  LED ZEPPELIN '71年に"移民の歌"
  LYNN ANDERSON ’70年にローズガーデンの大ヒット。
  LOUIS ARMSTRONG サッチモの愛称でジャズファンのみならず多くの音楽ファンに親しまれた。'53年と'63年には
来日して名演奏を披露、映画グレンミラー物語や五つの銅貨などにも出演した。
  LEN BARRY '65年にソロシンガーとして再デビュー、ワンツースリーでヒットパレード界に復帰。
  LEFT BANKE '66年にデビューしたニューヨーク出身の5人組み。中心はマイケル・ブラウン。
  LOU CHRISTIE イタリア人の父とポーランド人の母の間に生まれた。魔法が唯一のヒット。
  LEMON PIPERS 一連のブッダサウンドとは多少異なる持ち味で人気を博していた5人組。
  LITTLE RICHARD チャック・ベリー同等、ロックン・ロールを語るとき欠かすことのできない超スーパースター。本名をリチャード・ベ
ニマンという。生家は貧しく、14人兄弟の3番目ということもあって、7歳の頃より街の通りに出て
歌い始めた。
  LOVIN'SPOONFUL 1960年代後半に大活躍したマニア好みのグループ。'65年8月に"魔法を信じるかい"でデビュー。
サマー・イン・ザ・シティは彼らの5枚目のシングル。
M MAMAS & PAPAS 男女各2人のメンバーによるバランスのとれたハーモニーで、フォークロック全盛時代に素晴らしい人気を
集めた。
  MARISOL "マリソルの初恋"で人気を獲得、"情熱の国スペインからやってきた海と太陽のプリンセス"のキャッチフ
レーズのもと来日も果たした。
  MASHMAKHAN '63年にカナダのモントリオールで結成されたファントムというグループが母体となって、のちのマッシュマッカー
ン誕生となった。ヒット曲は"霧の中の二人"
  MITCH MILLER 楽団(合唱団)の指揮者として、またアメリカCBSレコードの文芸部長として多大な貢献を果たして
きた大御所。
  MONKEES ビートルズの対抗馬として送り出され、TVのレギュラー・ショーをもって大活躍。そのキャラクターとヒット曲
の数々で素晴らしい人気を博した。
  MIKE CLIFFORD 映画ガン・ファイターより、主題歌"ガン・ファイター"を歌う。
  MINA 月影のナポリがヒット。'63年にはスキャンダルから人気を落としたが、翌年には挽回。
N NEW CHRISTY MINSTRELS キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール・&マリーらとともに'60年代前半のモダン・フォーク・ブーム
を盛り上げた。ギタリスト7名、バンジョー奏者3名の10人で編成されていた。
  NANCY AMES 祖父がパナマの首相、父親が耳鼻咽喉科の医師という好環境に育った。
  NILSSON 出世作となったのは、'69年の大ヒット"うわさの男"で、映画"真夜中のカウボーイ"に使われると
ともに、グラミー賞の最優秀歌手賞を受賞。
  1910 FRUITSGUM CO. バブルガム・ミュージックのエースとして君臨した人気グループ。グループの名前はリーダーのフランク・ジェッケル
が自宅の屋根裏部屋にかかっていた、古いレコードのポッケトから見つけたガムの包装紙にヒント
を得てつけたものだという。
  NEIL SEDAKA プレスリーやポール・アンカとともに大活躍。幼い頃から非凡な才能を発揮、13歳のときに、すでにい
くつかの曲を作曲していた。小さい悪魔・すてきな16歳・悲しきクラウン・可愛いあの娘などのヒ
ットを発表。
  NARCISO YEPES 4歳のときからクラシック・ギターを習い、後年アンドレス・セゴビア(スペインが生んだ史上最高のギタリスト)の
後継者として注目を集めた。25歳のとき、"禁じられた遊び"の大ヒットで世界的な人気を得た。
O OHIO EXPRESS 1910フルーツ・ガム・カンパニーの弟分的グループとして活躍していた5人組。ヒット曲は"ヤミー・ヤミー・ヤミー"
  OTIS REDDING '63年にソロシンガーとして独立。ドック・オブ・ザ・ベイ、トライ・ア・リトル・テンダネスなど発表、ソウル・ミュージック
界の新しいスーパー・ヒーローとして脚光を浴びた。日本でも'60年代後半のソウル・ミュージック台頭とと
もに人気を呼んだが、そんな折も折、'67年12月10日、飛行機事故で26歳の生涯に別れを告げた
  O'JAYS フィラデルフィア・ソウルの中核として大活躍。
  OCEAN カナダはオンタリオ出身の5人組。サインはピースの大ヒットを放った。
P PLATTERS 黒人のヴォーカル・グループとしては、もっとも高い人気を誇っていた5人組。'55年にオンリー・ユー、'58
年にトワイライト・タイム、'60年に夕陽に赤い帆、など。
  PAUL ANKA カナダが生んだ最初のスーパースターとして余りにも有名。歌手としてはもちろん、作曲家としても
フランク・シナトラの”マイ・ウエイ”、トム・ジョーンズの”シーズ・ア・レディ”、ミッチ・ミラー合唱団の”史上最大の作
戦”などを書いている。
  PAT BOONE 硬派のプレスリーとは対象的に、甘くソフトな歌声とスマートなセンスで女性ファンをしびれさ
せた。ポップ・ヴォーカリストの第一人者。血筋も良く、アメリカ開拓史上にその名を馳せたダ
ニエル・ブーンの子孫にあたる。
  PETULA CLARK イギリスはもとより、アメリカ、ヨーロッパ各国でも大変な人気を集めた国際的スター・シンガー。
  PERCY FAITH 生後まもなくしてピアノを習い始め、わずか11歳でトロント映画館にピアニストとして就職。一晩3ド
ルの報酬で無声映画の伴奏をつとめた。
  PEGGY LEE 本名ノーマ・デロレス・エグストロム。ベニー・グッドマンにスカウトされ、彼の楽団に参加、'44年まで歌ったあ
とソロとして独立した。"ジャニー・ギター”など。
  PEGGY MARCH 本名マーガレット・バタリア。'62年、リトル・ペギー・マーチとしてデビュー、わずか14歳で吹き込んだ"アイ・ウイ
ル・フォロー・ヒム”があっという間に大ヒット、文字どおりのシンデレラ・ガールとして脚光を浴びた。
  PATTI PAGE 本名クララ・アン・ファウラー。'50年に"テネシー・ワルツ”がミリオン・セラー・ヒットになってスターダムにのしあがった。
  PROCOL HARUM 青い影の大ヒットで一世を風靡した6人組み。ロンドン出身で1960年代初期よりパラマウンツという
名のもと、1950年代のアメリカン・ヒッツをコピーしたり、サンディ・ショーのバックをつとめたりしていた。
  PERCY SLEDGE 出世作となった"男が女を愛する時"は、クイン・アイビー自身がプロデュースを担当、彼のアシスタントでエ
ンジニアでもあったマリリン・グリーンがギタリストとして参加、リック・ホールの経営するマッスル・ショールズ・スタジ
オで録音された。
R RAY CHARLES 言わずと知れたリズム&ブルース界の超ビッグスター。本名をレイ・チャールズ・ロビンソンと言う。
  ROY ORBISON 本名をロイ・ケルトン・オービソンと言う。日本でのヒットは少ないが、アメリカやイギリスでの評価はきわめて
高く、アメリカでは2曲(ランニング・スケアード、オー・プリティ・ウーマン)イギリスでも3曲のトップ・ソングを含む30
曲近くのヒットを放っている。'66年には妻クローデットが事故死、'68年には自宅が火事になり2人
の息子を失うという悲劇に見舞われている。
  ROLLING STONES '63年英デッカよりカム・オンでデビュー。
  RONNY & DAYTONAS ロニーをリーダーに、ナッシュビル出身の3人の若者が集まって結成。G.T.O.でふっとばせ、がヒット。
  RIGHTOUS BROTHERS '65年、ブルー・アイド・ソウル台頭。白人アーティストによる黒っぽいフィーリングのヴォーカル・サウンドが人気
を集める。ふられた気持ち、ソウル & インスピレーション、アンチェインド・メロディなど。
S SANTANA 1960年代後半にブルース・バンドとしてスタート、のちラテン・ロックのスタイルを確立し、'69年のウッド
ストック フェスティバルに出演、同時にデビュー アルバム”サンタナ”を大ヒットさせて脚光を浴びた。”ブラ
ック・マジック・ウーマン”は日本でも大ヒットし、来日公演も行われた。
  SAM COOKE '60年春の"ティーンエイジ・ソナタ"を始めとして20曲余りのヒットを発表。
  STEVE LAWRENCE 歌手として活躍する一方、夫人のイーディ・ゴーメとともにテレビ・ショーのホストとして人気を博した。
  SCOTT McKENZIE プロ歌手になる前は、銀行のコンピューター技師をしながら地元のアマチュア・グループでフォークソングを歌
っていた。歌手としては、"花のサンフランシスコ"以外これといった実績はない。
  SAM & DAVE '60年代後半から末にかけてダブル・ダイナマイトのニックネームで、ソウルファンの絶大な支持を集めた。
  SERCHERS シンプルかつストレートなロックン・ロールを基調に、最も早くから活動していたリヴァプール・サウンドの元祖
的グループ。グループ名のサーチャーズは、ジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の映画”捜索者”から
つけられたもので、結成されたのは、1960年のこと。
  SOUNDS フィンランドを本拠地とするヨーロッパのエレキ・インスツルメント・グループで、1960年代前半に人気を集め
た。”さすらいのギター””エマの面影”など、エレガントで美しい旋律をフィーチュアしたサウンドは、スエ
ーデン出身のスプートニクスと同様に日本でも多くのファンに親しまれた。
  STEPPENWOLF カナダのトロント出身のハード・ロック系グループ。'60年代半ばに結成された"スパロウ"というバンドが、
のちにステッペンウルフとなったもので、当時はブルース・ナンバーをメインに活動。'68年ダンヒル・レコー
ドより出した第1弾"オストリッチ"は不発に終わったが、2枚目の"ワイルドで行こう"が
見事大ヒット。
  SURFARIS '62年夏に"ワイプ・アウト”を録音、これが人気インスツルメンタル・グループ、チャレンジャーズのリーダー、
リチャード・デルヴィの知るところとなり、彼の世話で'63年初頭にドット・レコードより全国発売された。
  SYLVIE VARTAN フランス大使館に勤める父親とハンガリー人である母親との間に生まれた。'64年にオリンピア劇
場でビートルズと共演、アメリカのエド・サリバン・ショーにも出演して活躍、まもなく"アイドルを探せ"の
大ヒットを発表する。
  SARAH VAUGHAN ポピュラー、ジャズ・ヴォーカリストのベテランとして余りにも有名。
  SHADOWS '60年に"アパッチ"で全英No1ヒット
  SPOTNICKS 宇宙時代にふさわしい名前とフレッシュなサウンドを持った若きインスツルメンタル・グループ。"夢のオレンシ
゙号""霧のカレリア"など。
T THREE DOG NIGHT 3人のヴォーカリストと4人のバック・ミュージシャンという編成上のユニークさ。シンガー・ソング・ライターたちの埋
もれた作品を次々に大ヒットさせるという選曲の妙味。'60年代末から'70年代半ばにかけて圧
倒的な人気を集めた。
  THREE DEGREES '60年代半ばに結成された、女性ヴォーカル・グループ。荒野のならず者、天使のささやき、など。
  TONY BENNETT プロシンガーになるきっかけとなったのは、入隊後陸軍のバンドで歌い、ニューヨークでボブ・ホープのス
テージショーに出演してから。
  TROY DONAHUE '59年に"避暑地の出来事"で主役に抜擢。他に"恋愛専科""パームスプリングスの週末"など。
また'60年からのTVシリーズ、サーフサイド6やハワイアン・アイなどにも出演。
  TOMMY ROE '60年後半から'70年前半にかけてスイートピーなどのヒット。
  TONY JOE WHITE '60年代末から'70年代始めにかけて人気をあつめたアウワンプ・ロックの第一人者。
  TOKENS '61年春、ライオンは寝ているのミリオン・セラーヒット。
  TRINI LOPEZ メキシコ系の移民である両親のもと、6人兄弟の一人として生まれた。家庭は貧しかったが、若
い頃にダンサー兼シンガーとして働いていたという両親のもと、小さい頃から歌やギターをマスター、
15歳の頃にはダラスのクラブ"シ・パンゴ"に出て、アルバイトとして歌いながら家計を助けた。
V VELVETS 珍しいエピソードを持ったグループ。メンバー3人は同じ年だが、ヴァージル・ジョンソンだけは飛びぬけ
て年齢が高い。それもそのはずで、彼は3人が通うハイスクールの国語教師だったという。
  VENTURES 1959年ドン・ウイルソンとボブ・ボーグルという二人のギタリストによって結成されたギター・デュオだっ
たが、後にノーキー・エドワーズ、メル・テイラーが加わり最強のライン・アップが完成、1965年の来日で
は各地で熱狂的なステージを展開し、日本中にエレキ・ブームを巻き起こした。
  VICKY '67年、ルクセンブルグの代表としてユーロヴィジョン・コンテストに出場、"恋はみずいろ"で4位入賞を
果たした。
  VILLAGE STOMPERS ディキシー・ランド風のスインギーな演奏に、フォーク・ミュージックのフィーリングをミックスさせた、いわゆるフォー
ク・ディキシー・サウンドで話題を集めた。'68年、"ワシントン広場の夜は更けて"で一躍クローズアップされた。
W WALKER BROTHERS 一般にはイギリスのグループとして扱われているが、メンバーの3人はいずれもアメリカの生まれ。グ
ループ結成後、ロスにとどまり、TVのハリウッド・ア・ゴー・ゴーなどに出演したが、不成功。'65年に
イギリスに渡り、人気グループの仲間入りを果たした。
  WILMA GOICH ボビー・ソロ、ジリオラ・チンクエッティらと並んで、'60年代中頃にデビュー。日本でもカンツオーネ・ファンを中
心にかなりの人気を集めた。頭角をあらわしたのは18歳の時で、バランツアで開催されたニ
ュー・ボイス・コンテストで2位に入賞、リコルディ・レコードよりデビューした。
  WILSON PICKETT '65年にダンス天国、ミッドナイト・アワー、ムスタング・サリー、ファンキー・ブロードウエイなどのヒットを放った。
Y YARDBIRDS エリック クラプトン、ジェフ ベック、ジミー ペイジの3大スーパー ギタリストを送り出したことで知られる伝説的な
グループ。'65年に「フォー・ユア・ラブ」のヒット。
  YOUNG RASCALS '60年代後半に、ブルー・アイド・ソウルの代表的グループとして素晴らしい活躍を示した。
Z ZOMBIES のろま、まぬけという意味の名を持つイギリスのセント・アルバンス出身のグループ。「シーズ・ノット・ ゼア”」
「ウーマン」「二人のシーズン」など。