洋楽懐メロBack to the 60s レブロンOB会

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1960年代に流行った洋楽と当時の世相をご紹介します

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'60s ヒット・ポップス

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一部、工事中ですがご了承ください。


アラスカ魂(North to Alaska):ジョニー・ホートン

60年秋にリリース、同年暮れにはアメリカでは4位まで上がり、日本でも大ヒットしたが、結局ジョニー・ホートンの遺作となったしまっ
た。マイク・フィリップスのペンによるもので、ジョン・ウエイン主演の同名映画にタイトル・ソングとして使われた。

アイ・ウイル・フォロー・ヒム(I will follow him):リトル・ペギー・マーチ

デル・ローマことポール・モーリアのペンによる原曲をノーマン・ギンベルとアーサー・アルトマンの2人が改作、'63年春に発売され、3週
間にわたって全米ヒット・チャートの1位にランクされた。彼女のほか、ベテランのジョージア・ギブス、ローズマリー・クルーニー、イタリア
のベティ・クルティスといった女性陣、或いはフランク・プウルセル、パーシー・フェイスといったオーケストラなどもレコーディング、のちに
はディスコ系シンガー、クラウディア・バリーによってもシングル発売されている。別名"夢の幌馬車"、"愛のシャリオ"などの邦題でも知
られている。

アル・ディラ(Al Dilla):エミリオ・ペリコーリ'

61年(第11回)サン・レモ・フェスティバルでグランプリを獲得したカンツオーネのヒット曲。翌'62年にトロイ・ドナヒュー、スザンヌ・プレシェ
ット主演の映画"恋愛専科"の中で使われ大ヒット。アメリカでも6位まで上がる好成績を残した。'63年にはコニー・フランシス、'64年に
はレイ・チャールズ・シンガーズでもヒット・チャートに登場している。

あなたの肩に頬うめて(Put Your Head on my Shoulder):ポール・アンカ

のちにレターメン(’68年)、レイフ・ギャレット(’78年)でもリバイバルヒットしたラブバラード。ポール・アンカのシングルは”ロンリー・ボ
ーイ”に続いて’59年夏に発表され、全米ヒットチャートの2位まで上がった。ダイアナと似たようなエピソードを持った曲で、当時恋人だ
った映画俳優のアニット・ファニセロとのロマンスをテーマにしたものだという。

青い影A Whiter Shade of Pale):プロコル・ハルム

’67年夏にイギリスで6週間1位を記録、アメリカでも5位まで上がる大ヒットとなった名曲。バッハのカンタータをベースに、キース・リー
ドとゲイリー・ブルッカーの2人が書いたもので、ほかにもジョニー・リバース、ボビー・ジョンソン&アトムズ、ジョー・コッカーといった人た
ちがとりあげている。イギリスでは’72年にも再発売されリバイバルヒットしている。

哀愁のヨーロッパEuropa):サンタナ

カルロス・サンタナとトム・コスターが共作した日本での2大ヒット曲の1つ。’76年に発表されたアルバム”アミーゴ”の中に収められて
いたもので、アメリカではシングル発売されなかったが、日本では独自にカットされ、、来日記念盤としてリリースされた。むせび泣くよう
なサンタナのギターが印象的で彼らのファンのみならず、多くのファンに親しまれている。

アイム・ア・ビリーバーI'm a beliaver):モンキーズ

”恋の終列車”に続いて2枚目のシングルとして発売された。アメリカでは’66年11月26日のリリースを待たずして、予約だけでおよそ
105万枚のセールスを記録。同年末から’67年2月にかけて実に7週間第一位。イギリスでも4週間トップを続けるなど、世界中で大ヒ
ット、実に1000万枚以上のレコード売り上げを記録した、ニール・ダイアモンドの作品で、彼自身のシングルも’71年に発売されている。

アメリカン・ウーマン(American Woman):ゲス・フー

ノータイムに続いて、’70年春に発表されたナンバーワン・ヒット。(5月に3週間第一位)アメリカン・ウーマンを皮肉った内容の歌だが、
それにもかかわらず大ヒットしたというのだから、何とも面白い。

甘い暴力(Douce Violence):ジョニー・アリディ

ピエール・グリス、エルケ・ソマー主演、ジョニー自身も出演した同名映画の主題歌。ジョルジュ・ガルバランツが作ったもので、'63年に
スマッシュ・ヒットした。

明日なき世界Eve of Destruction):バリー・マクガイア

P・F・スローンがスティーブ・バリと共作、'65年夏に発表された大ヒット。いわゆるプロテストソングの代表曲として、センセーショナルな
話題を集め、ヒットチャートの1位にもなった。歌詞の内容があまりにも過激というので、放送禁止処分になったところもあった。

愛するハーモニーI'd like to teach the world to sing.):ニューシーカーズ

'71年暮れにリリースされ、翌年初めにイギリスでは4週間トップを記録、アメリカでも7位まで上がってミリオン・セラーをマークした。大ヒ
ットした要因の1つに清涼飲料水のコマーシャルソングとしてつかわれたことがあげられよう。

アイドルを探せ(La Plus Belle Pour Aller Danser):シルビー・バルタン

シルビー・バルタンを一躍スターダムに押し上げた'64年のヒット曲。彼女とジョニー・アリディが共演、同年暮れに公開された同名映画
の主題歌で、シャルル・アズナブールとジョルジュ・ガルバランが作詞作曲した。この曲の大ヒットをきっかけにフランス・ギャル、シェイ
ラ、マージョリー・ノエルなどが相次いで登場、第一次フレンチ・ポップス・ブームが巻き起こった。

あなたのとりこ(Irresistiblement):シルビー・バルタン

'68年4月の自動車事故以来、音楽活動を休止していたシルビーがカムバックの第一作として発表したのがこの曲。'70年暮れから'71
年始めにかけて日本でもかなりヒットした。

貴方にひざまづいて(In ginoccio da te):ジャンニ・モランディ

サンライト・ツイストからおよそ3年後、'66年初頭から春頃にかけて日本のヒットチャートを飾った。モランディ自身が主演した同名映画の
主題歌。

あなただけを(Somebody to love):ジェファーソン・エアプレーン

'67年春に発表され、全米チャートのベスト5入りを果たした出世作。グレイス・スリックことダービー・スリックが作詞作曲。当時はサイケ
デリック・サウンドの代表曲として発売され、ドアーズの"ハートに火をつけて"とともに日本でも大ヒット。彼らにとって、この曲が最初で
最後のヒット。

雨のささやき(Rain):ホセ・フェリシアーノ

ホセ・フェリシアーンが当時の夫人ヒルダと共作した'69年のヒット曲。アルバム"10 to 23"に収められていたもので、アメリカではそれ
ほどではなかったが、日本では大ヒットした。

雨にぬれても(Raindrops keep falling on my head):B.J.トーマス

’69年秋に発表され、翌’70年1月に4週間1位を独走したB.J,トーマス最大のヒット曲。バート・バカラックとハル・デビッドのコンビが書
いたもので、映画"明日に向かって撃て"の主題歌に歌われ、アカデミー賞の最優秀音楽賞にも選ばれた。

哀愁のカレリア(Ajomies):フィーネイズ

'65年から'66年にかけてベストセラーとなったヨーロッパ・エレキサウンドの代表的ヒットナンバー。フィーネイズについては当時は正体不
明のグループとして話題を呼んだが、実はボー・ウインバーグ率いるスプートニクスの前身であることが分かった。

アット・ザ・ホップ(At the hop):ダニー&ジュニアーズ

シャ・ナ・ナやニック・トッド、フレディ・クイーンなどの演奏でも知られる、ロックンロールの名曲中の名曲。

(La Pioggia):ジリオラ・チンクエッティ'

69年に大ヒット。同年のサンレモ・フェスティバルでは、彼女とフランス・ギャルの両女性シンガーによって歌われ人気を飾った。

ある愛の詩(Love Story):アンディ・ウイリアムズ

ライアン・オニール、アリー・マックグロウの同名映画の主題曲。フランシス・レイのペンによるもの。

愛情物語(To love again):カーメン・キャバレロ

戦後の名ピアニスト・エディ・デューチンの半生を描いた伝記映画の主題歌。

アイル・ビー・ホーム(I'l be home):パット・ブーン

’56年に”ツッティ・フルッティ”とのカップリングで発売され、両面ヒットとなった彼の出世作。作者はフェルディナンド・ワシントンとスタ
ン・ルイスのコンビ。黒人グループ、フラミンゴスの唄でもヒットした。

アップル・パイは恋の味(Apples,peaches,and pumpkin pie):ジェイとテクニクス

ジェイとテクニクスのデビュー・ヒットで、’67年夏にアメリカで発売されたもの。秋に6位まで上がり、彼らの出世作となった。

あの娘のレター(The Letter):ボックス・トップス

’67年9月から10月にかけて4週間全米ヒットチャートのトップにランクされたボックス・トップスのデビュー・ヒット曲。作者であり自らも
セッションに参加したウエイン・カーソン・トンプソンは父親のアイデアをヒントにしてこの曲を作ったという。

愛しのラナ(Lana):ヴェルヴェッツ

もともとは'61年秋に発売された2曲目のヒット"ラーフ"のB面に収められていたナンバー。日本では'63年にAB面を逆にして発売され、
見事大ヒットした。いわば当時の音楽番組担当者によって作られたヒットで、今なお多くのファンに愛聴されている。

いとしのリンダ(I saw Linda yesterday):ディッキー・リー

ディッキー・リーが"河の娘パッチェス"に続いて、’62年秋に発表した第2弾ヒット。何の変哲もないポップソングだが、実に調子の良い
曲で、熱心なファンには今なおコレクターズ・アイテムの1つになっている。

いとしのルネ(Walk away Renee):レフト・バンク

’66年秋に発表され、全米ヒットチャートのベスト5内にランクされたデビューヒット曲。

 


裏切り者のテーマ(Back Stabbers):オージェイズ

’72年秋に発表され、ヒット。スタイリスティックス、スピナーズなどのヒット曲とともに、フィラデルフィア・サウンド台頭の口火を切った。
翌年のミリオン・ヒット”ラブ・トレイン”も名曲として有名。

ウーマン・ウーマン(Woman,Woman):ゲイrー・パケットとユニオン・ギャップ

彼らのデビューヒットナンバーで、’67年秋に発表され、翌年初めに最高4位まで上がった。イントロのドラムとゲイリー・パケットのパワ
フルなボーカルが印象的だ。

内気なジョニー(Johnny get angry):ジョニー・ソマーズ

’62年に発表され、アメリカでは最高7位まで上がる大ヒットを記録、日本ではシェリー・フェブレーの競作盤とともに人気を呼んだ。

ウインチェスターの鐘(Winchester cathedral):ニューボードビルバンド

’66年秋に発売され、全米ナンバーワンヒットを記録した。メガホンを通したように歌っているのはルビー・バリーというシンガー。

ウイズアウト・ユー


ウイッシン・アンド・ホービン


家へは帰れない


エンド・オブ・ザ・ワールド(The end of the world):スターキー・デイヴィス

シルビア・ディーとアーサー・ケントの2人によって書かれ、'63年始めに発表されたスターキー・デイビス最大のヒット曲。アメリカでは最
高2位を記録、ミリオン・セラーともなった。鼻にかかったような独特の歌声と間奏で聞かれるナレーションが一段とムードを盛り上げてい
る。日本ではブレンダ・リーの歌でも人気を集めた。

エンジン・エンジンNo9


OK牧場の決闘(Gunfight at O.K.corral):フランキー・レイン

バート・ランカスター、カーク・ダグラス主演の同名映画の主題歌。ディミトリー・ティオムキンが作った'57年の作品で、アメリカではヒット
しなかったが、日本では"ハイ・ヌーン"、"真昼の決闘"、"ローハイド"と並ぶ、フランキー・レインの代表曲として多くのファンに親しまれ
た。

おお!キャロル(Oh!Carol):ニール・セダカ

’59年秋にアメリカでリリースされ、初のトップテン入り。9位まで上がった。ここで歌われているキャロルが、のちにあのキャロル・キン
グだったことが分かり、ファンの間で随分話題になった。ヒットはしていないが、キャロル・キングの方も”おお!ニール”というアンサー・
ソングを吹き込んでいる。

男が女を愛する時(when a man loves a woman):パーシー・シレッジ

'66年春にリリースされ、全米ナンバー・ワンにランクされたソウル・バラードの名曲。同年にはエスター・フィリップスのアンサー・ソング"
女が男を愛する時"も発売された。作者は"エスカイアーズ"時代の仲間であるカルヴィン・ルイスとアンドリュー・ライトの2人となってい
るが、実際にはパーシー・スレッジ自身が書いたもの。伝えられるところによれば、彼がスランプの時に助けてくれたのが2人で、そのお
礼として作者の名義を彼らに与えたという。

オー・プリティ・ウーマン(Oh,pretty woman):ロイ・オービソン

'64年秋に発表され、アメリカでは3週間、イギリスでも2週間にわたってナンバー・ワンにランクされた大ヒット。ロイ・オービソン自身とビ
ル・ディーズの共作によるもので、タイトルの"オー・プリティ・ウーマン"は妻のクローデットとビル・ディーズの会話から生まれたものだっ
たという。'82年にはハード・ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンによってもリバイバル・ヒットしている。

オールド・ファッションド・ラブ・ソング(An old fashoned love song):スリー・ドッグ・ナイト

ほかにも"ファミリー・オブ・マン"、"アウト・イン・ザ・カントリー"などを書いているポール・ウイリアムスの作品。'71年秋に発売され、アメ
リカでは最高4位まで上がっている。日本では"喜びの世界"よりこちらの方が大ヒット、'72年2月から3月にかけて数週間1位にランク
された。

オー・ガール(oh,girl):シャイ・ライツ

ムーディーで美しい旋律を持ったソウルバラードの名曲。中心メンバーのユージン・レコードが作詞作曲。

落葉のコンチェルトFor the peace of all mankind):アルバート・ハモンド

’73年に発表されたセカンド・アルバム"フリー・エレクトリック・バンド"からのシングル・カット曲。アメリカではヒットしなかったが、日本
では"カリフォルニアの青い空"以上に幅広くファンに親しまれた。

オール・バイ・マイセルフ(All by myself):エリック・カルメン

エリック自身のペンによる’76年春の大ヒット。アメリカでは3週間2位にランクされ、ソロ独立後の決定打となった。

オーケイ


オール・オブ・ザ・ナイト


カレンダー・ガール(Calendar Girl):ニール・セダカ

アメリカでは60年暮れにリリースされ、最高4位を記録、”星へのきざはし”に次ぐトップ・テン・ヒットとなた。曲、詩との実に楽しい内
容で、まさにニール・セダカの魅力がいっぱいといったところ。

悲しき街角(Runaway):デル・シャノン

デル・シャノンがバック・バンドのメンバーでキーボード奏者だったマックス・クロックと共作したデビュー・ヒット曲。'61年春に発表され、ア
メリカでは4週間、イギリスでも3週間にわたってトップにランクされた。彼はこの曲を'67年にもライブ・スタイルで再レコーディング、一部
ではかなりの人気を集めた。さすがに'60年代を代表する名曲といわれるにふさわしく、これまでも多くの人たちがカバー、ヒット・チャート
にもたびたび登場している。以下、'62年ローレンス・ウエルク楽団、'72年ドーン、'75年チャーリー・クリス、'77年ボニー・レイット、'86年
ルイス・カーディナスといった具合。

悲しき雨音(Rhythm of the rain):カスケイズ

ポップスのニュー・スタンダードともいうべき曲の1つになっている名曲。'63年にカスケイズのセカンド・シングルとして発売され、ベスト・
スリー内に突入、日本では'68年にも再度ヒット・チャートにランクされた。'69年には再録音による"悲しき雨音'69"やゲーリー・ルイスと
プレイボーイズのカバー・バージョンも発表され、リバイバル・ヒットしている。グループのリーダー、ジョン・ガモーの作詞作曲。

風に泣いている(Crying in the wind):ポール・アンカ

RCAビクターに移籍後の作品。アメリカでは陽の目をみなかったが、日本では"太陽の中の恋"や"ラブ"と並んで、ABCパラマウント時
代の作品に匹敵する幅広い人気を集めた。

悲しき慕情(Breaking up is hard to do):ニール・セダカ

’62年夏に全米ヒットチャートのナンバーワンを記録した、ニール・セダカ最大のヒット曲。’76年にもロケットレーベルからニューアレン
ジによる再録音盤が発売され、再び大ヒット。ポップス史上でも珍しいケースとして注目された。日本ではカーペンターズの歌でも親しま
れた。

悲しきインディアン(Running Bear):ジョニー・プレストン

彼のデビューヒットで、’60年はじめに3週間ナンバーワンを記録した。ピック・ボッパーことJPリチャードソンが石鹸のCMにヒントを得て
作ったといわれている。

悲しきあしおと(Footsteps):スティブ・ローレンス

彼の代表曲で、’60年春の大ヒット。名ソングライターとして有名なバリー・マンとハンク・ハンターの二人が作詞作曲。

かなわぬ恋(Never my love):アソシエーション

歌手としても知られるドンとディックのアドリシ兄弟が合作、’67年秋に発表された。

悲しみの兵士(Les Hommes):シルビー・バルタン

戦争で他界した兵士をテーマに、平和への祈りを歌いあげたメッセージソング。’70年夏に発売された。

輝く星座(Aquarius/Let the sunshine in):フィフス・ディメンション

世界的に話題を呼んだラブ・ロック・ミュージカル"ヘアー"の挿入歌として余りにも有名。’67年に作られ、’69年にフィフス・ディメンショ
ンの初の大ヒット曲。6週間トップを独走するとともに、グラミー賞の最優秀レコードにも選ばれた。ミュージカルのテーマ曲であるアクエ
リアスと挿入歌だった"ザ・フレッシュ・フェイリュレス・レット・ザ・サンシャイン・イン"をメドレー化したところがじゅうようなポイントになって
いる。

カインド・オブ・ア・ドラッグ


悲しき戦場


悲しき初恋


カムバック・トー・ミー


カリフォルニアの青い空


かわいいドンナ


君はわが運命(You are my destiny):ポール・アンカ

"ダイアナ"、"アイ・ラブ・ユー・ベイビー"に続くポール・アンカの3枚目のシングル・ヒット。'58年2月に7位まで上がるとともに、日本で
も"ダイアナ"に次いで大ヒットした。バラード・シンガーとしての地位を確立した作品でもあり、ヴィック・ダナものちにシングルを発売している。

霧のサンフランシスコ(I left my heart in San Fransisco):トニー・ベネット

原曲は古く、'54年にダグラス・クロスとジョージ・コリーの2人によって書かれたもの。およそ8年後の'62年に、トニー・ベネットなど数人
によって取り上げられた。アメリカではトニー・ベネットの歌でヒットし、最高19位ながら、合計21週間にわたってチャート・イン。日本で
はブレンダ・リーの歌でも人気を集めた。"思い出のサンフランシスコ"や"我が心のサンフランシスコ"などの邦題でも知られている。

キックス(Kicks):ポール・リビアとレイダース

バリー・マン&シンシア・ウエイルの名コンビが作詞作曲、’66年春に発売され、最高4位を記録した。

霧の中の二人(As the Years go by):マッシュ・マッカーン

メンバーの一人でリーダーのピエール・セネガルが作ったもの。’70年夏にリリースされ、アメリカでは31位までランクアップ。

キサナドウの伝説


君に涙とほほえみを


今日を生きよう


キング・オブ・ザ・ロード


禁じられた恋の島


禁じられた遊び


グリーン・フィールズ(Greenfields):ブラザース・フォア

テリー・ギルキーソンが作った曲で、イージー・ラーダースの盤も'56年に発表されたが、有名になったのはブラザース・フォアのもの。彼
らのデビュー曲として'60年に発売され、同年春に2位まで上がった。'69年にはヴォーグスもリバイバルヒットさせている。

クレイジー・ラブ(Crazy Love):ポール・アンカ

日本におけるポール・アンカの初期3大ヒット曲の1つ。これも自作のナンバーで、’58年春に発売された。全米チャートでの最高位は
19位。バラードながら、後半からエンディングにかけての歌い方がドラマティックで、聴くもののハートをえぐるような感じさえ受ける。

グッド・ゴリー・ミス・モリー(Good Golly Miss Molly):リトル・リチャード

ミッチー・ライダー&デトロイトホイールズが"悪魔とモリー"の中でメドレースタイルで取り上げていた。

グリーン・タンブリン(Green Tambourine):レモン・パイパーズ

ターン・アラウンド・テイク・ア・ルックに続いて発売された、レモン・パイパーズの第2弾シングル。’68年2月に1位を記録。

グリーン・グリーン


グルービン


黒い炎


煙が目にしみる(Smoke gets in your eyes) :プラターズ

そもそもは'33年に、ミュージカル"ロバータ"の主題曲として書かれたもの。ジェローム・カーンとオットー・ハーバックの作詞作曲。プラタ
ーズのレコードは'58年にリリースされ、'59年に全米ナンバー・ワン・ヒットとなった。'72年にブルー・ヘイズというグループでもリバイバル・ヒットしている。

ゲーム・オブ・ラヴ(The game of love):ウエイン・フォンタナとマインドベンダーズ

'65年始めにイギリス、春にアメリカでリリースされた彼らの初ヒット曲。クリント・バラード・ジュニアのペンによるもので、イギリスでは2
位、アメリカでは見事1位に輝いた。いわゆるマンチェスター・ビートと呼ばれた、力強いドラミングとベースをバックに、ウエイン・フォンタ
ナが熱唱、日本でもかなりのヒットとなった。

恋の片道切符(One way tiket to the blues):ニール・セダカ

アメリカでは"おおキャロル"のB面として、日本ではこちらがA面として発売され大ヒット、'59年暮れから'60年始めにかけてヒットパレー
ドのトップにランクされたハンク・ハンターとジャック・ケラーの共作。日本でも多くのシンガーが取り上げ、当時のロカビリー・ブームに拍
車をかけた。

恋の日記(The Diary):ニール・セダカ

ニール・セダカの名を世界に高めた、'58年のデビュー・ヒット・ナンバー。恋する女性の日記に自分の名前が書かれているかどうか、気
をもんでいる少年の気持ちを歌った典型的なロッカ・バラード。アメリカでは最高14位を記録、日本でもベスト・スリーに入るほど人気を
集めた。

このすばらしき世界(What a wonderfull world):ルイ・アームストロング

ジョージ・デビッド・ワイズとジョージ・ダグラスが、'67年に作詞作曲したバラード・ナンバー。当時はそれほど大ヒットしなかったが、一部
ファンからは静かな注目を集めていた。日本ではTVのCMのイメージ・ソングに使われ、レコードも再発売された。アメリカでも映画"グッ
ド・モーニング・ベトナム"の挿入歌として使われ、シングルとしてもリバイバル・ヒットしている。

恋のパームスプリングス(Live young):トロイ・ドナヒュー

トロイ・ドナヒュー自身が主演、コニー・スティーブンス、ステファニー・パワーズが共演した映画"パームスプリングスの週末"のテーマソ
ング。歌手としての彼のデビュー曲でもある。本国ではヒットしなかったが、日本では'63年暮れから'64年にかけて大ヒットした。

恋の特効薬(Love potion number nine):サーチャーズ

イギリスではシングル・カットされなかったが、アメリカでは'64年暮れにリリースされ、ベスト・スリー内にランクされたリバイバル・ヒット。
オリジナルは黒人ヴォーカル・グループ、クローヴァーズが'59年に発表したもので、当時は全米ヒット・チャートの23位まで上がった。
"恋の特効薬"の邦題でおなじみのリズム&ブルースのスタンダード・ナンバーで、'72年にはコースターズの歌でもリバイバル・ヒットし
ているほか、最近ではヘヴィー・メタル・バンドのタイガーズ・オブ・パンタンでもヒット・チャートに登場している。作詞作曲は、ロックン・ロ
ール界最大のプロデューサー・ソングライター・コンビとしてならしたジェリー・レイバー&マイク・ストラーの2人。

恋のウムウム(Um,um,um,um,um,um):メイジャー・ランス

’63年暮れに発表、翌年はじめにヒットチャートのベスト5内に送り込んだ。

今度の土曜に恋人を(Another Saturday night):サム・クック

’63年春に発表され、トップテン入りしたソウルの名曲。サム・クック自身の作詞作曲。

恋の乾草(Build me up buttercup):ファウンデーションズ

’68年暮れに発売され、イギリスで2位、アメリカで3位まで上がった彼ら最大のヒット曲。

孤独の世界(From a distance):P.F.スローン

彼の自作曲で’66年に発表された。アメリカではヒットしなかったが、日本では同年夏にスマッシュ・ヒット。

孤独の太陽(In my room):ウオーカー・ブラザーズ

イギリス、アメリカではヒットしなかったが、日本でのウオーカーズ・ブームを確立したのがこの曲。スコットのミステリアスな感じのボーカ
ルが独特の味わいを出している。

恋は二人のハーモニー(Two divided bylove):グラスルーツ

かれらの後期の作品で、’71年秋にアメリカでリリースされた。全米ヒットチャートでは最高16位を記録。

この胸のときめきを(You don't have to say you love me):ダスティ・スプリングフィールド

原曲はイタリアのピノ・ドナッジオが書いたもの。’66年にビッキー・ウイックマンとサイモン・ベルが英詞をつけ、ダスティによって歌われ
てから、世界的に有名になった。後年プレスリーが歌って大ヒットさせたのは記憶に新しいところ。

恋はみずいろ(L'amour est bleu):ビッキー

ポール・モーリアの大ヒットとして有名だが、日本では彼女の歌でも人気を集めた。正確にはビッキーの歌で紹介されたあと、ポール・モ
ーリア楽団の演奏盤がアメリカでナンバーワンを記録、ビッキーの影が薄くなったといえる。

恋はイエイエ(L'amour est):シルビー・バルタン

イエイエとはゴーゴー(当時流行したダンスリズム)のことを示す言葉。Everything is alrightの英語タイトルでも知られるアップテンポの
ナンバーで、当時はファッションの流行とともに多くの人たちに親しまれた。

コメ・プリマ(Come Prima):トニー・ダララ

トニー・ダララのデビュー曲として’58年に発売されたもの。

恋の終列車(Last Train to Clarkville):モンキーズ

トミーボイス&ボビー・ハートのコンビによって書かれたモンキーズのデビュー曲。’66年8月16日に発売され、11月1週にナンバーワ
ンに輝いた。

恋するキャンディダ


恋にノー・タッチ(Never gonna fall in love again):エリック・カルメン

オール・バイ・マイ・セルフに続いて’76年春に発売されたソロとしての2枚目のシングル。

恋と涙の17才


恋の一番列車


恋のかけひき


恋のダウン・タウン


恋のゆりかご


恋はごきげん


恋はリズムにのせて


荒野のならず者


心の扉をあけよう


ゴッドファーザー愛のテーマ


さすらいのギター(Mandschurian Beat):サウンズ

サウンズが'63年の秋に発表したナンバー。原題は"満州のビート"となっているが、そのメロディラインやビートにはオリエンタルな雰囲
気とともに、北欧フィンランドのエレキ・グループらしい独特のフィーリングが感じられる。'71年にはベンチャーズも吹き込み、日本のみス
ペシャル・シングルとしてリリースされ、リバイバル・ヒットした。

サマー・イン・ザ・シティ(Summer in the city):ラヴィン・スプーンフル

日本でも大ヒットしたラヴィン・スプーンフルの代表作。ジョンの弟マークが作曲した"ヤング・ラヴ・イン・サマータウン"をアレンジしたもの
で、イントロと間奏部にサウンド・エフェクトを駆使した手法もこの曲のヒットに大きなプラスになったといえる。アメリカでは'66年夏にリリ
ースされ、8月に3週間1位をキープ、彼らのシングルとしては初のナンバー・ワンを記録し、ミリオン・セラーともなった。

さらばふるさと(Wooden heart):ジョー・ダウエル

’61年夏に発売され、全米ナンバーワンに輝いた、ジョー・ダウエルのデビュー・ヒット曲。

ザッツ・ザ・ウエイ(That's the way):ハニカムズ

’65年夏にイギリスでの4枚目のシングルとして発売されたナンバー。ハブ・アイ・ザ・ライトと同じく、歯切れの良いサウンドとメロディッ
クが曲調が大きな魅力となっている。

サニー(Sunny):ボビー・ヘブ

ボビ・ヘブ自作のヒット・ナンバー。’63年のケネディ大統領暗殺事件と、その翌日に起きたボビーの兄弟の死を、オーバーラップさせな
がら作ったといわれている。彼はこの曲を3年後にレコーディング、ミリオンセラーとなった。

サンライト・ツイスト(Go kart twist):ジャンニ・モランディ

’63年夏に大ヒットしたスクリーン・ミュージック。エンニオ・モリコーネの作品で、ジャンニ・モランディの日本での初めてのヒット曲。

サイモン・セッズ(Simon Says):1910フルーツガム・カンパニー

’68年はじめに全米ヒットチャートの4位までランクアップ、ミリオン・セラーとなった大ヒット曲。アメリカ版"むすんでひらいて”といったと
ころか。

サインはピース(Put your hand in the hand):オーシャン

アメリカでは’71年春に発売され、最高2位までランクアップ、ミリオンセラーを記録した。

さすらいの口笛


サタデイ・ナイト


サニー・アフタヌーン


ジョニー B・グッド(Johnny B.good):チャック・ベリー

'58年春に発売され全米ヒットチャートの8位まで上がった彼の代表曲の1つ。'64年にはディオン、'70年にはジョニー・ウインターがそろ
ぞれリバイバル・ヒットさせている。チャック・ベリーが音楽的通念としている"Food For Mood"を文字って作られた曲だといわれている。

ジェニ・ジェニ(Jennny,Jenny):リトル・リチャード

"ルシール"と並んで、日本でもっともポピュラーな人気を集めていたナンバー。"ルシール"に続いて発表されたもので、R&Bチャートで
2位、ナショナル・チャートでも10位まで上がった。エノトリス・ジョンソンとリトル・リチャードの共作による曲で、'65年にはミッチ・ライダー
&デトロイト・ホイールズが"ジェニ・ジェニNo2"の中でこの曲の一部をメドレー形式で取り入れている。

シックスティーン・キャンドルズ(16 candles):クレスツ

クレスツの名を一躍有名にした大ヒット。多くの名曲を残しているルーサー・ディクソンがアリソン・ケントと共作したもので、'58年暮れか
ら'59年始めにかけて大ヒット、全米チャートの2位まで上がった。"アメリカン・グラフィティ"を始めオールディーズ関係の映画ではしばし
ば使われ、若いファンの人たちにもすっかりおなじみになっている。

死ぬほど愛して(Sinno me moro):アリダ・ケッリ

ピエトロ・ジェルミ監督、主演、クラウディア・カルディナーレ共演のイタリア映画"刑事"の主題歌。名匠カルロ・ルスティケリが作り、アリ
ダ・ケッリの歌で'60年に発表された。映画の人気もさることながら、音楽の方も大ヒット、各ラジオ・ステーションのチャートも長期間にわ
たってトップを独走した。歌い始めのアモーレ、アモーレ、アモーレ・ミオというフレーズは特に印象的で、当時の流行語にもなった。

史上最大の作戦(The Longest Day):ミッチ・ミラー合唱団

ポール・アンカの作詞作曲。彼自身も出演したジョン・ウエイン主演の同名映画のタイトル・ナンバー。'62年に発売され、アメリカではヒ
ットしなかったが、日本では同年暮れから'63年にかけて大ロングラン・ヒットとなった。作者であるポール・アンカ自身のレコードも出ている。

ジャニー・ギター(Johnny Guitar):ペギー・リー

'54年の映画"大砂塵"(原題はジャニー・ギター)のテーマ・ソングとして使われ大ヒットしたスタンダード・ナンバー。"エデンの東"や"80
日間世界一周"なども書いておなじみの故ヴィクター・ヤングが作曲、ペギー・リー自身が作詞した。ポップス・ファンにはスエーデンのエ
レキ・グループ、スプートニクスの演奏でも親しまれている。

16トン(Sixteens tons):プラターズ

'47年にマーク・トラビスが作った曲で、アメリカではテネシー・アーニー・フォードの盤が'55年に大ヒット、6週間にわたってトップを独走し
た。日本では何といってもプラターズの方が有名で、"オンリー・ユー"とともに素晴らしい人気を集めた。特にポール・ロービのバリトンが
きわだっている。

シュガー・シュガー(Sugar,sugar):アーチーズ

'69年秋に4週間にわたって全米ヒット・チャートのトップにランクされ、年間ランキングでも1位に選ばれたミリオン・セラー・ヒット。イギリ
スでも8週間にわたってトップを独走した。プロデュースも手がけたジェフ・バリーとシンガーでもあるアンディ・キムの2人が共作したもの
で、300万枚以上のセールスをマークしたといわれる。バブルガム調の単純な曲に思えるが、その実、巧みなアイデアやサウンド・アレ
ンジが施された作品で、ヒット・ソングとしてはまさにパーフェクトな出来となっている。これまでに発表されたリメイク盤も多く、'70年には
ウイルソン・ピケットのソウル・ヴォーカルで全米チャートの25位までアップ。イギリスではジョナサン・キングがサッカリンの名で'71年に
シングル発売、12位まで上がった。ほかにもアメリカのディスコ・シンガー、デビッド・ギャムソン、ソウル系ジャズ・ミュージシャンのジミ
ー・マッグリフなどがカバー。ロン・ダンテ自身も再吹き込みによるシングルを"自分の名前"でリリースしている。

シー・オブ・ラブ


ジョアンナ


ジャッキー


白い恋人たち


ジャワの夜は更けて


幸せの黄色いリボン


ジェニファー・ジュニパー


四月の恋


ジュテーム


シルバー・ムーン


真珠貝の唄


人生の道


砂に書いたラヴ・レター(Love letters in the sands):パット・ブーン

パット・ブーンの代名詞ともなっている'57年の大ヒット曲。同年公開された初の主演映画"バーナディーン"の中でも使われ大ヒット、5週
間連続1位にランクされるとともに、ミリオン・セラーを記録した。曲ができたのは古く、'31年にニック&チャールズ・ケニー、フレッド・クー
ツの3人が合作した。かつてはビング・クロスビーなども録音していた曲だが、ドット側の意見で3種類のバージョンがレコーディングされ、
結局は映画の中で使われたものが、シングルとして発売された。

スタンド・バイ・ミー(Stand by me):ベン・E・キング

ベンE・キングがドリフターズ退団後、2枚目のソロ・シングルとして'61年にリリースした曲。ソウル・チャートでは1位、ポップ・チャートで
も4位まで上がった。日本では故ジョン・レノン、アメリカではスパイダー・ターナー、デビッド&ジミー・ラフィン、アール・グラントなどの歌
でも知られている。作者はベンE・キングとジェリー・レイバー、マイク・ストラーの3人。最近も同名映画の主題歌に使われ大ヒット、リバ
イバル・ブームを引き起こすきっかけともなった。

すてきなメモリー(Memories memories):ジョニー・ソマーズ

アメリカではヒットしなかったが、日本では"内気なジョニー"、"ワン・ボーイ"に続いて大ヒット。日本語によるシングルも発売され、'63年
暮れから'64年にかけてヒット・パレードの上位にランクされた。作詞作曲はブルックス・アーサーとアラン・ローバーの2人。軽快なテン
ポとチャーミングな歌声が見事にマッチした。'60年代初期の典型的ヒット・ソングのひとつである。

ストップ・ザ・ミュージック(Stop the music):レーンとリー・キングス

スエーデンの人気グループ、レーンとリー・キングスが放った'63年のヒット曲。クライヴ・ウエストレイクとミルトン・サボスキーが作った曲
で、今ではスタンダードともなっているポppス・ヒットの名曲。ほかにイギリスの男性シンガー、ディック・ジョーダンやヒット・メイカーズに
よっても歌われ、これまでも何度かリバイバル・ヒットしている。同じ曲でもディック・ジョーダンのものはアップ・テンポでストレート、レーン
とリー・キングスとヒット・メイカーズのものはややスロー・テンポと、そのスタイルは異なっている。どちらにしても印象的なモロディを持っ
たナンバーで、今後も末永く愛聴されていくに違いない。

スピニング・ホイール


スカイ・ハイ


すてきなバレリー


スピーディ・ゴンザレス


ソウル・トレインのテーマ


そよ風のバラード


ダイアナ(Diana):ポール・アンカ

ポップスファンにはあまりにも有名だ。ポール・アンカが15才のときに、年上の女性に憧れて作った曲だとされている。アメリカで発売さ
れたのは'57年のことで、同年夏に2位まで上昇。日本でも当時のロカビリー・シンガーたちが好んで取り上げ大流行した。'65年にはボ
ビー・ライデルがバラードにアレンジしてヒットさせている。

太陽はひとりぼっち(L'eclisse):コレット・テンピア楽団

これも同名のイタリア映画主題曲で、'62年秋に発売された。スクリーンの方は"さすらい"と"情事"の2作品で名を売ったミケランジェロ・
アントニオーニ監督、アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティが主演、カンヌ映画祭の審査員特別賞を受賞した。音楽の方はジョバンニ・フスコ
が手がけて、コレット・テンピア楽団の演奏で大ヒットした。

大脱走マーチ(The great escape march):ミッチ・ミラー合唱団

"史上最大の作戦"と並んで'60年初期の日本ポップス界を飾ったミッチ・ミラー合唱団の代表作。これまた映画の主題歌でスティーブ・
マックイーン主演、チャールズ・ブロンソンなども出演いた同名の映画の中で使われた。エルマー・バーンスタインが作曲、アル・スティ
ルマンが作詞したもので、イギリスのシンガー、ジョン・レイトン(映画にも出演)のレコードも発売された。

ターン・ターン・ターン(Turn! turn! turn!):バーズ

"ミスター・タンブリン・マン"と並ぶ大ヒットで、これも'65年暮れに3週間1位にランクされた。フォーク界の巨匠ピート・シーガーが'62年に
作った曲で、バーズは"オール・アイ・リアリー・ウオント・トウ・ドウ"に次いで、3枚目のシングルとして発売した。

太陽を探せ


太陽に歌って


太陽はもう輝かない


太陽の彼方に


太陽の誘惑


ダンス天国


谷間に三つの鐘が鳴る


小さな花


地下室のメロディ


チュウイ・チュウイ


チンチン・ルンバ


ツイストで踊りあかそう


月影のなぎさ


月影のナポリ


テイク・ファイブ(Take five):デイブ・ブルーベック・カルテット

故ポール・デスモンドが作曲、デイブ・ブルーベックにとっては初のシングル・ヒットとなった記念すべきナンバー。アメリカでは'61年秋に
チャート・インし、最高25位を記録、翌年にはカーメン・マックレイのヴォーカル(アイオラ・ブルーベックが作詞)とデイブ・ブルーベックの共
演による歌と演奏でも人気を集めた。5拍子という変則リズムをジャズに持込んだ画期的なアイデアも、この曲の成功に一役買ったといえる。

天使のハンマー(If I had a hammer):トリニ・ロペス

'63年夏に発表され、全米ヒット・チャートのトップ・スリー内にランクされたトリニ・ロペスのデビュー・ヒット。そもそもはフォーク界の大御
所ピート・シーガーがウイーバーズ在籍時代('57年)にリー・ヘイズと共作したもので、ピーター・ポール&マリーの歌で一般に知られるよ
うになった。ほかにも多くのフォーク・シンガーやグループが取り上げているが、トリニ・ロペスほどユニークなアレンジと歌い方で人気を
集めた例はかつてない。

電話でキッス


鉄道員


デイジー


デイ・ドリーム


デイドリーム・ビリーバー


テキーラ


天使のささやき


ドミニク(Dominique):スール・スーリール(シンギング・ナン)

アメリカでは"シンギング・ナン"の名で発表された。'63年暮れに4週間にわたってナンバー・ワンを記録、英語以外で歌われた曲として
は、ドメニコ・モデューニョの"ヴォラーレ"以来の超ビッグ・ヒットとなった。

ドック・オブ・ザ・ベイ(The dock of the bay):オーティス・レディング

オーティスの死後まもなく発表され、全米ヒット・チャートのトップを記録('68年3月から4月にかけて4週間1位)、彼の最大のヒット曲とな
った。日本でも折りからのソウル・ブームに乗って大ヒット、ポップス・ファンの間でも人気を呼んだ。作者はオーティス自身と僚友のステ
ィーブ・クロッパー。のちにキン・カーティスやデルズ、セルジオ・メンディスなどによって取り上げられているほか、オーティスの息子デク
スターが結成したグループ、レディングスによってもリバイバル・ヒットしている。

峠の幌馬車


ドリーム・ラバー


トレイシー


トレイン


夏の日の恋(The theme from "A Snmmer Place"):パーシー・フェイス・オーケストラ

名実ともにパーシー・フェイスの名を決定づけた最高傑作。マックス・スタイナーが作ったもので、映画"避暑地の出来事"(トロイ・ドナヒュ
ー、サンドラ・ディー主演)の主題曲として使われ、'60年に大ヒット。9週間トップを独走するとともに、同年の年間ランキングでも1位に選
ばれた。同年のグラミー賞で、最優秀レコード賞を獲得、のちにディスコ・バージョン・シングルも発売され大ヒット、パシー・フェイスの遺
作ともなった。

浪路はるかに(Sail along silv'ry moon):ビリー・ヴォーン楽団

原曲はハリー・トビアスが作詞、パsー・ウエンリッチが作曲した'37年の作品。当初はビング・クロスビーで紹介されたが、'57年にビリ
ー・ヴォーンのレコードが発売されるや、またたく間に大ヒット。'58年に全米ヒット・チャートのベスト・ファイブ内にランクされ、以後、同楽
団のテーマ・ミュージックとなった。

涙の口づけ(Sealed with a kiss):ブライアン・ハイランド

日本ではレターメンの歌でヒットしたが、オリジナルはこのブライアン・ハイランド盤。"ビキニ・スタイルのお嬢さん"からおよそ2年後、'62
年夏にリリースされ3位までランク・アップした。'68年にはゲーリー・ルイスとプレイボーイズ、'72年にはボビー・ヴィントンによっても取り
上げられ、ともに19位まで上がっている。

渚のボードウオーク(Under the boardwalk):ドリフターズ

ドリフターズのものとしては、比較的後期のヒット曲にあたる。アーサー・レズニックとケニー・ヤングの2人が、'64年に作詞作曲。アメリ
カでは最高4位を記録、日本でも上位に進出した。リード・ヴォーカルはジョニー・ムーアが担当。'78年にはビリー・ジョー・ロイヤル、'82
年にはトム・トム・クラブが取り上げ、それぞれアメリカとイギリスでリバイバル・ヒットさせている。

七つの水仙(Seven daffodils):ブラザース・フォア

アメリカでは注目されなかったが、日本では'64年にヒット・チャートの上位にランクされた。ブラザース・フォアの作品としては比較的後期
のもので、来日コンサートで歌われてから次第に人気を集め始めた。

ナ・ナ・ヘイ・ヘイ・キス・ヒム・グッドバイ


ナオミの夢


嘆きのインディアン


涙のバースデイ・パーティ


涙のムーディ・リバー


24000回のキッス


ノックは3回


のっぽのサリー


遥かなるアラモ(The green leaves of summmer):ブラザース・フォア

ポール・フランシス・ウエブスター、ディミトリー・ティオムキン共作による、ジョン・ウエイン主演の同名映画主題歌。'60年暮れのヒット曲
で、フォークソングの名曲としても知られている。映画の方も、同年のアカデミー賞にノミネートされて評判を呼んだ。

ハロー・ドーリー(Hello Dolly!):ルイ・アームストロング

'64年5月、当時63才だったサッチモが放ったポップ・シーンでの唯一のナンバー・ワン・ヒット。同年2月から5月にかけて"抱きしめた
い"、"シー・ラヴズ・ユー"、"キャント・バイ・ミー・ラヴ"と続いたビートルズの14週連続1位にストップをかけ、大きな話題となった。ジェ
リー・ハーマンの作詞作曲による、同名ミュージカルのタイトル曲で、'69年に映画化される際にはルイ自身も特別出演、バーブラ・ストラ
イザンドと一緒に歌いまくった。

花のサンフランシスコ(San Francisco):スコット・マッケンジー

'67年にママス&パパスのリーダー、ジョン・フィリップスが作詞作曲。折りからのフラワー・ムーブメントに乗って、7月に4位まで上がる
大ヒットとなった。スコット・マッケンジーにとってはもちろん、彼の所属するオード・レーベルにとっても、初のビッグ・ヒットとなった記念す
べきナンバー。

パイプライン(Pipeline):シャンティズ

シャンティズのメンバー、ボブ・スピッカードとブライアン・カルメンが作ったエレキ・インストウルメンタルの代表曲。'63年春に発売され、全
米ヒット・チャートの4位まで上がった。"パイプライン"とは石油の輸送管のこと。日本ではベンチャーズの演奏でも親しまれ、エレキ・ブ
ームの口火を切った。

花咲く街角


ハッシュ


ハブ・アイ・ザ・ライト


バイバイ・バーディ


バイバイ・ベイビー


花咲く丘に涙して


花のささやき


ハロー・リバプール


ピンと針


火の玉ロック


ビートでジャンプ


ビキニ・スタイルのお嬢さん


ブルー・ベルベット


ふたりの太陽


ブラック・マジック・ウーマン


フォー・ユア・ラブ


二人だけのデート


ブラザー・ルイ


プリティ・ブルー・アイズ


ブルー・スエード・シューズ


ふるえて眠れ


ベイビー・フェイス


ペギー・スー


北京の55日


ポエトリー(Poetry in motion):ジョニー・ティロットソン

アメリカと日本で共に大ヒットした数少ない曲の1つ。ポール・カウフマンとマイク・アンソニーのペンによるもので、アメリカでは'60年秋に
リリースされ2位までアップ、イギリスではトップにランクされ25万枚の好セールスをマークした。日本ではアメリカより4年ほど遅れて発
売され、"キューティ・パイ"、"プリンセス・プリンセス"に続いて人気を集めた。

ホールド・オン(Hold on I'm comin'):サム&デイブ

2人のためにたくさんのヒット曲を書いている、アイザック・ヘイズとデビッド・ポーターの作品。'66年暮れにリリースされ、ポップ・チャート
で21位、ソウル・チャートでは堂々1位にランクされた。サム&デイブの出世作であると同時に、スタックス・ヴォルト・レーベルの歴史を
飾った1曲でもある。翌'67年にはチャック・ジャクソン&マキシン・ブラウンのデユエット盤でもチャート・イン、日本のグループ・サウンズ勢
も好んで取り上げた。

ホワッド・アイ・セイ(What'd I say):レイ・チャールズ

レイ・チャールズがアトランティック時代に残した、最も代表的なヒット・ナンバー。'59年に彼自身によって書かれ、ソウル・チャートでは1
位、ポップ・チャートでも6位まで上がった。ソウル界はもとより、ポップ・シーンでも数多くの人たちが取り上げ、'61年にはジェリー・リー・
ルイス、'62年にはボビー・ダーリン、'64年にはエルビス・プレスリー、'72年にはレア・アースで、それぞれリバイバル・ヒットしてい
る。

ほとばしる愛を君に


吼えろ!ドラゴン


ほほにかかる涙


ポーク・サラダ・アニー


僕のマシュマロちゃん


ボサノバでキッス


星を求めて


魔法を信じるかい


魔法


マーシー・マーシー・マーシー


マイホーム・タウン


マイ・ラブ


マスター・ジャック


マック・ザ・ナイフ


ママ・ギター


マリアンヌ


マリソルの初恋


マンデー・マンデー


ミスター・ロンリー(Mr.Lonely):ボビー・ヴィントン

'64年暮れにナンバー・ワンとなった、ボビー・ヴィントンの代表作。彼自身とジーン・アランによって'62年に作られたもので、はじめはア
ルバムの中の1曲にすぎなかったが、2年後にシングル・カットされ陽の目を見た。日本ではレターメンの歌でも親しまれ、今ではスタン
ダード化しつつある。

ミスター・タンブリン・マン(Mr.tambourine man):バーズ

ボブ・ディランの作品として、フォークソング・ファンにはおなじみの名曲。バーズのロック風にアレンジされたレコードは、'65年5月にリリ
ースされ、6月に見事1位に輝いた。彼らのデビュー・ヒットであると同時に、フォーク・ロック・ブームの火つけ役を果たした1曲でもある。

ミスター・ベイスマン(Mr. Bass man):ジョニー・シンバル

ジョニー・シンバルの自作自演で、'63年始めに発表された。ヒット・チャートでの最高位は16位。バックでベースの口真似をしているの
はロニー・ブライドといい、かつてコースターズやヴァレンティノスといったグループで活躍していた人。この曲は日本でも何組かのグルー
プによって歌われていた。ノヴェルティ・ソングの典型的なヒット曲だが、発想といい、手法といい、実によくできた作品といえる。

ミニ・ミニ・ロック


メッカ


メロー・イエロー


モスクワの夜は更けて


モンキーズのテーマ


ヤング・ガール


ヤミー・ヤミー・ヤミー


ユー・リアリー・ガット・ミー(You really got me):キンクス

彼らの出世作で、'64年9月にイギリスで2週間ナンバー・ワン、アメリカでも7位まで上がる大ヒットとなった。キンキー・サウンドの典型
的な作品で、'78年にはアメリカのハード・ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンによっても取り上げられリバイバル・ヒットした。レイ・デイビスの
ペンによるもので、イギリスでは'83年にも再発売された。

夢のカリフォルニア(California dreamin'):ママス&パパス

グループの中心メンバー、ジョン・フィリップスが、当時の夫人ミッシェル・フィリップスと共作したフォーク・ロックの名曲。ジョンがニューヨ
ークのホテルで、故郷カリフォルニアに想いをはせて作った曲だと言われている。日本では、のちにもテレビ・コマーシャルのイメージ・ソ
ングに使われ、リバイバル・ヒット。アメリカでは'69年にボビー・ウーマック、'79年にアメリカ、'86年にビーチ・ボーイズが取り上げ、それ
ぞれヒット・チャートに送り込んでいる。

ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリーハッピー


夕陽のガンマン


ユール・ネバー・ノウ


夢のお月さま


夢みる想い


夜汽車よ!ジョージアへ


喜びの世界(Joy to the world):スリー・ドッグ・ナイト

ダンヒルでの10枚目のシングルとしてリリースされ、"ママー・トールド・ミー"に続いてナンバー・ワンを記録した、彼らの最大のヒット
曲。'71年春に6週間にわたってトップを独走、アメリカだけで800万枚を売り尽くす大ベスト・セラーとなった。作詞作曲はシンガー・ソン
グ・ライターのホイト・アクストン。彼の作品としては、ほかにも"ネヴァー・ビーン・トウ・スペイン"が、同じくスリー・ドッグナイト、"プッシャ
ー"がステッペンウルフ、"ノー・ノー・ソング"がリンゴ・スターによってそれぞれ取り上げられている。

ラ・バンバ(La bamba):リッチー・ヴァレンス

同名の映画ではロス・ロボスによって歌われていたが、リッチーのオリジナル盤は'58年暮れにリリースされ、翌年始めに全米チャートの
22位まで上がった。スパニッシュ・ヴァージョンで歌われ大ヒットした代表曲の1つ(ロス・ロボス盤は1位に輝いている)で、'62年にはト
ーケンズ、'66年にはトリニ・ロペスでもリバイバルヒットしている。作詞作曲はウイリアム・クラウソン。

ライオンは寝ている(The lion sleeps tonight):トーケンズ

'61年暮れに全米ナンバーワンを記録したトーケンズの出世作。南アフリカに古くから伝わる曲をポール・キャンベルがアレンジ、ウイー
バーズやゴードン・ジェンキンスによって、早くから歌い継がれていた。トーケンズのものはジョージ・ウエイス、アルバート・スタントンら
が再度編曲・加筆したいわば改訂版。'72年にはロバート・ジョンも取り上げ、リバイバル・ヒットさせている。

ラスト・ダンスは私に(Save the last dance for me):ドリフターズ

日本では越路吹雪の歌で大ヒット、そのためシャンソンやポピュラーのスタンダード・ナンバーと思われがちだが、実際は彼らドリヒター
ズが'60年に大ヒットさせた、アメリカ産のリズム&ブルース・ナンバー。同年秋に発表され、10月から11月にかけて3週間1位に輝い
た。アメリカではデフランコ・ファミリー('74年)やドリー・パートン('84年)のリメイク盤もヒット・チャートに登場している。

ラバース・コンチェルト


ラッパー


ラ・ノビア


ララは愛の言葉


リバティ・バランスを射った男(The man who shot Liberty Valance):ジーン・ピットニー
'

62年春に発売され、全米ヒット・チャートの4位まで上がった。同名映画の主題歌でもあり、日本ではドット・レーベルから発売されたフェ
アマウント・シンガーズの盤もかなりの人気を集めた。作詞作曲はバート・バカラックとハル・デビッドの名コンビ。

リーダー・オブ・ザ・パック


リトル・ダーリン


リトル・ホンダ


ルート66(Route 66):ジョージ・マハリス

ジョージ・マハリスが自ら主演した同名のテレビ・シリーズ主題歌。もともとは'46年にボビー・トウループが書いたものだが、'62年になっ
てテレビ番組が始まってからポピュラーになった。アメリカではネルソン・リドル楽団の演奏もの、日本ではジョージ・マハリスとナット・キ
ング・コールのヴォーカル盤が人気を二分した。

ルイジアナ・ママ(Louisiana mama):ジーン・ピットニー

日本でのジーン・ピットニーの名を決定づけた大ヒット。'62年2月頃から5月頃までヒットパレードの上位を飾り、トップにランクされたこと
もある。日本だけの大ヒットで、アメリカ本国では全く陽の目を見ていない(当時は同じようなケースが幾つもあった)。ジーン・ピットニー
のほか、飯田久彦のローカル盤でも親しまれていたのは、古くからのファンの皆さんならご存知の通り。

ルイ・ルイ(Louie Louie):キングスメン

歌手兼作曲家のリチャード・ベリーが作った曲で、'63年秋に発表され、6週間にわたって全米ヒット・チャートの2位にランクされた。'66
年にもシングルが再発売され、90位台ながら再びチャート・イン。ほかにも'66年にサンドパイパーズ、'78年にはジョン・ベルーシによっ
てもリバイバル・ヒットしている。古くはポール・リヴィアとレイダースの競作盤もリリースされたが、ヒットしていない。ごく最近もファット・
ボーイズのリメイク盤が発表され、シングル・ヒットしている。

ルシール


レッド・ラバー・ボール(Red rubber ball):サークル

ポール・サイモンがブルース・ウードリーの手を借りて、'65年に作詞作曲したもの。'66年春にサークルのデビュー・シングルとして発売
され、7月に2位まで上がる大ヒットとなった。ちょっぴりフォークソング風の味わいを持った、典型的なヒット・ポップスに仕上がっている。

レイ・ダウン


レッツ・ダンス


ロール・オーバー・ベートーベン(Roll over Beethoven):チャック・ベリー

'64年にビートルズがリバイバルヒットさせたほか、'61年にはヴェラーレス、'73年にはエレクトリック・ライト・オーケストラでもヒット・チャー
トに登場している。チャック・ベリーのオリジナル盤は'56年に発売され、ナショナル・チャートでは29位まで上がった。"メイベリーン"に続く2曲目のヒットナンバー。

ローハイド(Rawhide):フランキー・レイン

'58年以降、アメリカCBSテレビを通じて放映され、日本でも圧倒的な人気を呼んだ同名テレビ映画のテーマ・ソング。画面の方ではク
リント・イーストウッド、エリック・フレミングなどが活躍、曲の方は伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズなどのカバー・バージョンでも親し
まれた。ネッド・ワシントン、ディミトリー・ティオムキンの作品。

ロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock around the clock):ビル・ヘイリーと彼のコメッツ

ロックン・ロール史の最初の1ページを飾ったともいえる不朽の名作。'53年にマックス・フリードマンとジミー・デ・ナイトの2人が作詞作
曲、'54年にビル・ヘイリーと彼のコメッツによってレコーディングされ、翌'55年、映画"暴力教室"のオープニングに使われ、大ヒットした。
全米ヒット・チャートでは、同年夏に8週間トップを独走、のちにアメリカン・グラフィティの中でも取り上げられ話題を呼んだ。

ロックン・ロール・ミュージック


ローラ


ローズ・ガーデン


ワシントン広場の夜は更けて(Wasington Square):ヴィレッジ・ストンパーズ

"フォーク・ディキシー"と呼ばれた、ヴィレッジ・ストンパーズのスタイルを象徴するヒット・ナンバー。ボブ・ゴールドスタインとデビッド・シ
ャイアが共作、'63年秋に2位まで上がった。マリリン・メイのヴォーカル・バージョンも発売されているが、それほど知られていない。

ワン・ボーイ(One boy):ジョニー・ソマーズ

'60年夏に全米ヒット・チャートの54位まで上がった、ジョニー・ソマーズのデビュー・ヒット曲。リー・アダムスとチャールズ・ストラウスによ
って書かれ、ミュージカル"バイ・バイ・バーディ"の挿入歌として使われた。映画の中ではアン・マーグレット、ジャネット・リー、ボビー・ラ
イデルの3人によって歌われたが、レコードの方はジョニー・ソマーズ盤が大ヒットした。

笑って!ローズマリーちゃん(Smile a little smile for me):フライング・マシーン

グループのプロデューサーであり、ほかにもたくさんのヒット曲を書いているトニー・マコーレイとオス・スティーブンスが作詞作曲、'69年
暮れに全米ヒット・チャートのベスト・ファイブ内にランクされた、フライング・マシーンのデビュー・ヒット曲。イギリスでもパイ・レコードより
発売されたが、ヒット・チャートには登場していない。いささか間延びするような曲調のバラードだが、その実、甘い歌声とソフトなサウンド
がうまくマッチした味わい深いナンバーとなっている。

ワイプ・アウト(Wipe out):サーファリズ

'63年のヒットで、同年夏に2位までランク・アップ、サーファリズの出世作となった。ジム・パッシュを除くグループのメンバー4人の合作。
すでにサーフィン・ミュージックのスタンダードとなっている曲で、アメリカでは'66年にもリバイバル・ヒット、16位まで上がった。イントロ
からエンディングまで間断なく打ち続けられるドラミングが、この曲の最大のききもの。最近もヒットポップス系のグループ、ファット・ボー
イズがゲストにビーチ・ボーイズを迎えてレコーディング、見事リバイバル・ヒットさせている。

ワイルドで行こう!(Born to be wild):ステッペンウルフ

'68年夏に全米ヒット・チャートの2位まで上がった、ステッペンウルフのデビュー・ヒット曲。メンバーのひとりマース・ボンファイアが作っ
たもので、のちに映画"イージー・ライダー"の挿入歌としても使われ人気を呼んだ。タイトル通り、ワイルドでダイナミックなロック・ナンバ
ーとなっている。

ワン・ツー・スリー


笑って!ローズマリーちゃん


若草の恋


忘れないわ


私のボーイフレンド


1-2-3レッド・ライト


以下、工事中です。もうしばらくお待ちください。
ゆくゆくは、実際に音が出るようにしたいと思っています。
Coming Soon!!